Interview

vol.01 陽 茂弥(ダンサー兼施設管理人)

「仕事をしているという環境」と 「表現ができるという環境」、どちらも両立させながら キープさせていきたい。ダンサー兼施設管理人  陽 茂弥

陽 茂弥 Shigeya Yo
ダンサー、振付家、ねねむ主宰。1976年、東京生まれ。学生の頃は舞台衣装や役者を目指し活動していたが、97年に大駱駝艦の人々との出会いをキッカケにいきなり踊り始める。今までに、ニブロール、金魚(鈴木ユキオ)、若衆、大豆鼓ファームなど、コンテンポラリーダンスや舞踏の公演に数多く出演。01年よりソロでの作品をコツコツ発表。06年にねねむを旗揚げ。現在は、にしすがも創造舎で働きながら活動を続けている。

台風12号が近づくなか、時折急に強くなる風の音を聞きながら、にしすがも創造舎の建物内でゆっくりとインタビューは始まりました。

どうせ踊れないような身体で、バレエダンサーたちとどう戦えるか。

━━ まず、ダンスを始めたきっかけについて聞かせてください。

もともとはバイトなんです。
20歳まで、お芝居をしつつ衣装さんを目指して服飾の学校に行っていたのだけど、なんやかんやで途中でやめてしまって。芝居一本でやるか!と思ってたときに「スキンヘッドで白塗りになれる人を20人募集」っていう話を友達から聞いたんです。武道館で踊れるらしいし、ギャラも出るという話ですぐ「やるやる!」と言って。
それが、舞踏家で俳優の麿赤兒(まろあかじ)さんがやっている「大駱駝艦」というカンパニーのイベントだった。人が足りないから役者とか学生に声かけていたらしいんだけど、役者は毛を剃りたくないっていう人がけっこういるのね。だから「禿げづら(禿のかつら)でも良いよ」と言われてた。でも稽古初日に行った時、その人たちがかっこよくて、次の日くらいに僕は頭も眉毛も剃っちゃった。そうしたら「君いいねぇ、次の公演もあるんだけど出てみない?」とか言われて(笑)。すぐに「でます!」って言った。
それまでは金髪とか緑色の髪でツンツンしてたのに、突然丸坊主で眉毛がない状態になったものだから、学生の頃の友達には随分と変わったねって言われて。そこから芝居の話よりも舞踏・ダンスの話ばかりになって、それを全部断らずに参加していたら…踊ることになった(笑)。

━━ 舞踏から、今やってらっしゃる「ねねむ」(陽さんが立ち上げたカンパニーで、舞踏だけでなくコンテポラリーダンスやモダンバレエなどの要素が含まれたダンスを作り上げている)の踊りへ変わっていたのは、どのような経緯なのですか?

それもキッカケ、周りの人の繋がりで。「大豆鼓ファーム」という毎年夏に地方の山の中とか田んぼの中に舞台を組んで大きな公演をするカンパニーが昔あって、その中に僕も参加していた。12・3年前に仙台公演へ行ったとき、仲間の一人が「舞踏しかできない僕らで、バレエとかコンテンポラリーダンスと同じ土俵に立つことができるんじゃないか?」ということを模索するワークショップを急に始めて。
そのワークショップで発表公演をしようという話になったんだけど、いつのまにかその発表公演がカンパニーの立ち上げ公演になっちゃった(笑)。いつのまにかグループになってた。僕らはただの発表会のつもりで参加したんだけど、「次の公演もあるんだけど…」って話になって(笑)。
それが、鈴木ユキオさんの「ブルドッグエキス」というカンパニー(現在は「金魚」)で、そこから白塗りせずにバタバタ踊るようなのをはじめたんだよね。
それと平行して「若衆(YAN-SHU)」の海外公演について行ったことがあって、日本のカンパニーが3グループくらいで一緒の行動をしたの。で、そのうちのひとつに「ニブロール」というダンスカンパニーがいて、そこの繋がりでニブロールさんと仲が良くなっていった。東京で公演がある度に観に行っていたりしていたんだけど。
そうしたら「金魚」の公演に出演していたとき、たまたまニブロール主催の人が来て、「陽くん、こんなことやってるんだ。じゃあ、今度うちのにも出てよ」みたいな話になり、ニブロールにも出るようになり。よりダンス寄りの傾向になっていったという…そういう感じで、今に至ってるんだけど。

━━ ねねむの立ち上げの話も、そのまま伺って良いですか?

23か24歳から30歳くらいまでソロで自分の公演はやっていたんだけど、美術とか衣装は井上のぞみ(ねねむ)が入ってたりとか、あとは映像と音楽も他の人に作ってもらったりしながら、10分とか15分程度の小さい作品をコツコツ作ってた。

━━ そんなこともやってたんですね。

そう、その「金魚」というカンパニーに参加するようになってから、なんかそういうのに影響されちゃってさ。どうせ踊れないような身体でバレエダンサーたちと戦えるかどうか、みたいので。作品と自分の身体で何ができるかなぁっていう。
ねねむは、ただのその延長線。作品も溜まってきたし、なかには好評で何回か再演したものもあったから「そこそこ自分でも作品ってものが作れるんだな」ていうのがなんとなくわかってきた。じゃあ今度は人に振り付けたり、人とやるってことを自分で作れるかどうかを試してみようと思って。
最初はコンペ・ショーケースみたいな何団体もいっぱい出る発表会に、「ねねむ」として応募したんだよね。

━━ ソロで6年くらいやって溜まった作品をもとにして、ねねむが立ち上がったんですね。

そうだね。ソロで年に一回くらいしか作品作ってなかったから、4・5作品くらいしか持っていなかったんだけど。

━━ ひとつの作品を作るのにも、時間がかかりますもんね。

宿題みたいにスタッフに見せなきゃいけない日があって、その前日とかにぎゅっと作るみたいな。それまでずっと曖昧だったのを、一日でぎゅっと決めるみたいなのをやってたんだけど。でも一度採用になれば、それからは「出来上がっているものを考えなおす」だけだから、そうやってちょっとずつ構築されていくというか。再演するたびにだんだん緻密な作品になっていくけど、最初は粗い粗い。やっぱ初演は。ひとりでやっているとだれもケツ叩いてくれないから。

ツアーの方がお金になるんです。絵画と一緒で、買ってもらえたらね。

━━ そうなんですね。ダンスって、どうやって作っていくんですか?パターンや自分のやり方が決まっていたりするのでしょうか?

なるべく、そういう枠を作らないようにしてる。前の作品と似ないようにとか、人がやってたものに似ないように作ってるんだけどね。しかも一人だからさ、稽古場をわざわざお金払って取るわけでもなく、中野の公園で夜中稽古。夜にバイト終わって公園に行って、踊って、朝が来るとおじいちゃんおばあちゃんがラジオ体操するために集まってきて帰って行くのを見送ってから、ようやく自分が帰るっていう。そうやって作品を作ってました。

━━ 凄いですね。ダンスって、どういう時にインスピレーションが降りてくるんですか?

人それぞれだと思うけど、たとえば今みたいに「地震だ」「放射能だ」って大きな出来事が起きたときに、「だったら僕はこうかな」っていうものを身体に置き換えてみたりするのが多いのかな。でもけっこう僕は、時事ネタとか事件とかというよりは、これは一貫しちゃってるんだけど、自分の個人的な精神論だったり、人と生きてる世界ってものの解釈をどういう風に見せるかって、そういうのが多いかな。だから、たぶん、いつもの感じで、誰かと話している時とか、こういう状況とかそういうのも含めて、いつもインスピレーションの対象になるんではないかな、と。そんなに、日々思いついてはいないけど。日々思いついてたら、もうちょっと有名人になってますよ(笑)。

━━ いやいや。でもそうですね、一度観させてもらった公演で印象に残ってるのが、人と人がすれ違って、ぶつかって絡みあう人も居たり、なにもなくすれ違ったりする人がいたり、そういう普段の世界での人との関わりが表現されてて、なんだか切ない気持ちになったりしました。

そうそう、そんな作りのものが多いかな、ねねむになると特に。人と踊ることを前提とすると、人との繋がりみたいな…、人と生きる世間と、自分の部屋の個人的な感覚との差とか、おんなじ自分だけど違う自分みたいなものを表現することが多くなったのは…なぜだか分かんないけどね。

━━ そうした自分発信の活動をされている間も、他のカンパニーでの活動もされていたんですか?

いちダンサーとして活動してたから、声がかかれば、発注を受けて。今回のツアーには陽くん参加して欲しいんだけど、みたいな形で。基本的には団体に所属するというよりは、フリーのダンサーとして発注を受けてたんだよね。若衆(YAN-SHU)のツアーから帰ってきてすぐ大豆鼓ファームの現場入り、みたいなこともやってたし、昼間ニブロールの稽古をしてから、夜には金魚の稽古をやるみたいな。

━━ そうした活動で、ギャラは出ていたのですか?

毎回東京でやろうが海外でやろうがギャラが出るカンパニーもあれば、そうでない場合もある。海外に行けば日当が出るから、生活費が確保されるということも。日々の生活費として何ドルとかもらうんだよね。それをケチって使いさえすれば、それだけいっぱい持って帰れるっていう。でもけっこう立派な額もらえてたから、貯めれば相当何万円とかにはなったと思う。けっこう、海外のほうがね、向こう(海外のフェスティバル運営•受け入れ側の劇場など)からお金を出して買ってくれるというシステムがあるし、日本で助成金を取って向かうから、海外公演のほうが余裕があってギャラが出る。
日本でも、海外の人を呼ぶ場合は「買う」ってことになるから、お金がそれだけいっぱい出る。向こうは向こうで助成金を申請して向かってくるっていう、どこもお金の流れは基本的に同じ。ツアーの方がお金になるんです。絵画と一緒で、買ってもらえたらっていう。

━━ 海外公演とか長期的な休みが必要になると、バイトの選び方も大変ですよね。

ま、バイトだからね。他の人もバンドやってたりして、ツアーだっていって何ヶ月も休んでも戻ってくれば大丈夫っていう。公演がないときもあるから、その時は何ヶ月かがっつり働いて。だからやれてましたよ。

とくに「なにかになりたい」とか強く思ったりはしてなかった。

━━ 話はだいぶ遡るんですが、高校生の頃は何になりたかったんですか?

高校の時に文化祭でお芝居をやって、それがきっかけで舞台の世界に入ろうと思ったんで。部活はラグビーを中高6年間やっていて、部活とバイトと遊びで忙しかった。学校にはろくに行かずに、そんなことをしてた。お芝居とかを高校三年の文化祭でやるまでは、特に夢もなく、「今」を楽しく生きてたかな(笑)。とくに「なにかになりたい」とか強く思ったりはしてなかったかなぁ。

━━ でも進路選ぶときには、すこし考えさせられますよね?

実家の母方が婦人服屋だったんですよ。だから、小さい頃から縫い物とかが好きで、幼稚園からミシン使ってるくらい縫い物が得意だったし、洋服とかも好きだったから服飾には興味があったんだよね。
そうだ、お芝居とかやる前には服飾をやりたかったのかもしれない。やりたかった気がする(笑)!
たしか、衣装とかよりは、ファッションデザイナーとかブランドのデザイナーになりたいって思ってたかな。でもお芝居が面白くなってきちゃって、お芝居と服飾の間をとって、衣装さんになろうって思ったんだね。だから進路の時は、すでに専門に行くことになっていた。美術系の予備校にも通ってたけど、すぐ文化服装学院が決まっちゃったから、さっさと辞めちゃった。

━━ 親からの反対や抑制はなかったですか?

わかんない、父親とかは思ってたかもしれないけど、とくにはなにも無かったかなぁ。
…なにも言われなかったな。芝居をやろうと思って文化(服装学院)をやめるときは、さすがに言われたけどね。でもこんなことをやりたいんだ、って言い張ったんだったと思う。学校も抑圧されない学校だったから、好きにやっていたなぁ。

━━ 素晴らしい自由な環境だったんですね。自由に選べる環境って、逆に悩みは多くなりませんか?

悩みはあったんじゃないかな。音楽とかもやりたかったからね。高校の頃バンドもやってたから。音楽もやりたいし、芝居もやりたいし、服も作りたいって。

━━ とにかく表現欲が強かったんですね。

あったんだろうねぇ,当時の若い僕は…(笑)。

━━ 手段を選ぶのは、難しいですよね。

きっかけだからねぇ。ものに出会うというか、白塗りのバイトが無かったら踊ってなかっただろうし、お芝居一生懸命やってただろうし。

それでも舞台のそばに居れるのは楽しい。勉強になる。

━━ そして今度はぐんと今の話になるのですが、現在はダンスも続けながら、ここ「にしすがも創造舎」で働いてらっしゃいます。にしすがも創造舎で働きだしたきっかけって何だったんですか?

ここも、普通にバイト募集を見かけて。
もともと、ねねむでも金魚でもよく稽古場として使ってて。ここの制作・企画でなんか青森美術館でコンペみたいのがあって、シャガールの絵を題材にしたダンス作品を作るコンペみたいのがあって、もともとダンサーで参加してたんだよ。それで色々会社の人とも知り合いになって。あるときメールマガジンでアルバイト募集の連絡がきて、それで始めたんだと思う。

━━ それまで、ねねむの活動など、ダンスをやることに比重が大きかったとおもうのですが、今はだいぶ変わったんですよね。

だいぶ変わったね。ニブロールとかでは、もう重鎮になってきちゃって。最初は一番年下くらいのところから始めたけど、いまはだいたい演目によっては一番年上になっちゃうじゃない。ソロパートとか重要なパートが与えられるようになってきて、カンパニーの正式なメンバーにならないかみたいな話も来ていたし、「おっしゃ、がんばろう」みたいな、ダンサーとして上を目指していこうという時期は1・2年前にはあったね。それと同時にねねむもやってたから、じゃあねねむもやっぱりダンサーが作ったカンパニーとして上に行きたい、という気持ちは強くあったんだけどね。
大人になっちゃったかな。いい歳じゃん(笑)。いい歳になったときに、急に将来のこととか考えちゃって。このままアルバイトでずっとやってくのか?とか、ダンスのギャラを貰えて、それだけで生活していけるのか?とか。周りの先輩を見ていて、やっぱりそこそこ有名な人でも別で仕事をしていたりとか、まぁ、このままじゃあヤバイなって、34・35歳になる自分、ちょっとお休みしてでもちゃんとした自分の土台を作るべきなんだろうな、と思って、就活を始めたんだね。
でもうまく行かなくてさ。髪も長いし、休むかもしれないじゃん。都合の良い仕事を探してたわけじゃないけど、なんか良いのがないかな、と思って探してた。
そんななか、このにしすがも創造舎で「そんなの探してるんだったら、うちでどうですか?」って言ってもらえたから、今がある。
不安があったわけじゃないし、一人だったらどうにでも生きて行けるんじゃないか、と思ってたけど。バイトでもいいし、なにかあるから生きていけるとおもってたけどさ。当時は彼女もいたしね(笑)。

━━ その存在は大きいです。僕の場合は付き合ってる人が居るときと居ない時の人生に対する考えって全然違うんですよ。あれ困ったもんです(笑)。

でも30過ぎてから付き合ったから、結婚とかも考えたりするじゃない?だからやっぱそんなふうに思っちゃったんだろうね。でも、継続継続で、そっちに自分がシフトしてしまったことは、結局は合ってるんだろうな、と。いまさら、またアルバイトに戻るつもりもないし、それは変わったんだろうね。

━━ そういう方は、やはり沢山いらっしゃいますよね。もちろん、ずっとやっていく人もいますけど。

ずっとやっていける環境を自分で作ることもできただろうし。例えば、ダンスとか舞台と絡めた仕事を探すとか、それと両立できるような何かを出来る人もいるしね。ここ(にしすがも創造舎)でも、案外できてるんだけど。人のカンパニーに客演したりはできなくなった。自分の活動しかできないなって。

━━ 常に自分がやりたいと思っていることと近い世界で生きているのは良いですよね。

安定しているものでも、こういう刺激があるものもいっぱいあるし。ここは舞台とすごく近いとこにあるし、どちらかというと裏方の仕事のほうが多くなってきちゃっているんだけど、それでも舞台のそばに居れるのは楽しい。あとはね、ここの会社自体が舞台制作であったり、いろんなことのプロフェッショナルがいる会社だから、そういう仕事を側で見ていて「ねねむはこうしたらお金が引っ張ってこれるんだ」とか「こういう方法をやればこういう感じになるんだ」っていうことも勉強になる。すごくいいですね。近いところにプロがいるっていう。

━━ 陽さんが、ずっとそういう場所に身を置いてこれたのは…

ラッキーでしかないね。

━━ でも、陽さんならではの人との繋がりの強さとか、これまで作ってきた個性的な作品が沢山あるからこそ、逆に周りの人が陽さんをつなぎ止めているようにも思います。

そうだとしたら有難いけどね。

仕事はしっかりしながらも、ちゃんと自分は楽しんでいたい。

━━ 自分が自分たらしめているものが何なのか、意識したことありますか?

僕は、頼られるってことがたぶん性格的に好きで、どんな仕事をしていても、何かを任されて「何かの事だったら陽さんに聞けば大丈夫」みたいな、「陽さんがいるから大丈夫」という状態になるように頑張っていたし、ここにバイトで入った時も色んな事をなるべく把握して、なるべく僕ができるようにして、なるべく僕を通せば何かが解決するような状態を作れたらいいなぁと。たぶんそれが成功したんだろうね。
ここは制作会社だから制作さんしかいないんだけど、僕だけ「施設の人」なんだよ。技術のスタッフというか、そういう今までなかったパートをひとつ作って、常駐の職員として技術の人を入れようということになったのは、僕がそういうことをバイトのときからコツコツやってて、手に入れられたんだろうな。
だから、頼られて伸びるタイプというか、頼られるように頑張ろうとすることが僕なんだと思うよね。

━━ たしかに。僕が陽さんと一緒に関わっていたイベントでも、陽さんはそういう存在でした。

ただ、人を使うのが苦手だからさ、大体のことを自分でやりたくなっちゃうんだよね。「いい、いい、僕やる」って(笑)。大体のことを自分で抱え込みすぎちゃって、僕がいないと何も動かないんだ、っていうのも問題だと。
みんなが僕に何かを訊きに来ることは多いけれども、バイトの子が各自の判断で何もできなくなったりもしているのかなぁ、と思うようになって。最近もうちょっと下を頼らなくちゃ駄目だと思っている今日この頃です。
人を動かす、動くような状態にしてあげることって難しいなって。ついつい僕がやっちゃう。まぁ、そういうのが好きなんだろうしね、やりたくなっちゃうんだろうね。

━━ 奉仕心でしょうか(笑)。

犬のような人なんだろうね(笑)。

━━ そういう人が、人との繋がりを強く持っているような気がします。最後に、陽さんにとって、人生の成功とは何ですか?

「成功」というワードで考えたことはないけど、舞台やってても成功のライン引きが難しいから。
んー、人生として、幸せになるっていうのがどういうことなんだろうってこと?

━━ はい、何を聞いてるんだって感じですけど(笑)。

まあ色々あるよね(笑)。

━━ 価値観って人それぞれあると思うのですが、陽さんの中で何が一番大事なんですか?

それがねぇ、それがさっぱり分かんないよ(笑)。なーんも分かんないよ。
なんかね、ある程度苦労しないくらいの収入があって、家族がいて、住む所があって、友達が居て、楽しければ良いんだろうけど。今はもう上は目指さないけど、その当時の時代はもっと具体的なことを思っていたかな。色々ありますよ。仕事を楽にしたいという思いはなく、なるべく仕事はしっかりしながらも、ちゃんと自分が楽しんだり、将来に向けての貯蓄とかも含めてできるくらいの収入があれば良いな、とは思う。
でも、そんなに高みは目指してないですよ。

自分の仕事の繋がりそのままで、舞台ができちゃう環境が作れれば。

━━ 表現活動をし続けられている人と、そうでない人との、何が違うんでしょう。

家族とかが出来始めると、みんな考えちゃう。結婚したいなぁとか。結婚しても続けられてたけど、子供ができたら考えなきゃ、とか。そのタイミングで就職する人もいっぱいいるし。そういうのっぴきならねえ事態にみんななるんじゃないの?「ああ駄目だぁ、このままじゃ舞台続けていけねぇや」っていう、現実的に無理だってとこに、みんな追い込まれるんじゃない?
で、また子供が大きくなって安定したら、戻ってくる人もいるしね。けっこう色々だよ。

友達に、仙川でギャラリーカフェをやっている夫婦がいて、そこのお店のイベントとして演劇公演したりライブやったりしていて。旦那さんがお芝居をやっていて、奥さんは衣装さん。でカフェも自分たちで広報を頑張って、実際そこそこ流行ってる。自分たちのカンパニーで公演するときも、調布市の劇場を主に使ってそことも仲良くしていて、融通が効くし。公演の時は旦那は劇場入っちゃうけれど、カフェは奥さんと若い役者友達の女の子に手伝わせて。
ずっと「カフェ運営」という仕事が彼の中にあって、自分の仲間たちを呼んでイベントなんかもできるし、自分の好きなアーティストを呼んで個展も開けるし、みたいな。
宣伝とかしなきゃいけないし忙しそうだけど、でもなんかすごく楽しそうだなって思う。

━━ それはそれで、とても理想的ですね。

ね、やりたいことをずっとやりながら、ちゃんと収入を保って家族を養っていけるっていう状態。そんなんいいなぁとは思う、大変だろうけどね。

━━ 見えない苦労もあるでしょうね。

でもなんかやっぱ、そういうのが理想だと思う節はあるかな。自分で仕事をしていて、その繋がりその流れのまま舞台ができちゃう環境が作れれば、より良いなぁと思う。
とくにさ、今の仕事が施設の管理と劇場の機構・管理スタッフだから、そういう劇場を自分でやれたりしたら面白いのかなぁとは思う。その代わり僕は、そういう広報とか企画みたいなものが全くできないから(笑)、そういうのが出来る人と何かやれたらね、と。そんなことも思ったりもします。
あとはお金ね、お金がないと場所もなかなか手に入らないしね。そんな感じかな。

━━ さて、ねねむの公演が来年予定されていますけど、陽さん自身のこれからの方向性は?

いまは仕事のおかげでちょっと安定感を手に入れたので、これはキープしたいなと。仕事が変わったとしても、ちゃんと就職をしていくっていう方法をずっと取っていくと思うわけです。もしくは自分で仕事を始めるかもしれない。
でも踊りは続けていきたい。表現活動を続けていきたい。踊りじゃなくなるのかもしれないし、自分が踊れなくなったり、発想に限界が来たりとか、色々あるかもしれないけど、表現活動はずっと続けていきたい。だから、ねねむはずっと残していきたい。年に一回でもいいから、人を集めて公演ができるような状態を保っていたい。
ねねむで有名になりたいっていうのは、ほんの1•2年前まではすごく思ってたんだけど、いまは表現できる環境をキープして、「仕事をしているという環境」と「表現ができるという環境」どちらも両立させながらキープさせていきたいな。
そんなかで、ねねむが何かに引っかかってちょっと大きいとこになれたら、そしたらまた考えるかっていうね。そうなって安定した仕事を続けるのが難しくなってくるかもしれないし、そしたらどっちにするかその時に考えれば良いかと思ってるんだけどね。

陽さんは、物腰がやわらかい。もうそれはフニャフニャに柔らかい。常にそんなことはないと思うが、基本的に温厚な方であると思います。ダンスを始めたきっかけについても「バイトがきっかけ」とさらりと言うし、自分にとって大事なものは「分かんないよ」と正直に言う。言葉を表面上に捉えると掴みどころが少ないように思いますが、僕はそんな言葉の一つひとつに強い意志を感じました。それは彼なりの「自由」に対する意思なのだと思います。時代の流れに身を任せれば良い。別の流れを見つけたら体を撓らせて乗り換えれば良い。苦しいときもあるだろう。でも「自分の気持ち」という大きな流れに身を任せていれば、それは行くべきところに行きつけるんだ。そんなメッセージを、僕は陽さんの言葉から感じました。

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