Interview

vol.02 駒村 佳和(便利屋)

駒村 佳和(便利屋)

駒村 佳和 Yoshikazu Komamura
1977年山形県生まれ。7年間に渡るソフトウェア会社でのプログラマー経験を経て、独立。しかしIT関連の起業ではなく、職人「便利屋」として活動を開始。現在、都内を中心に営業を行なっている。
Twitter : @benriya777 (←お困りでしたらいつでもご連絡ください!)

「職業」というものは沢山の種類があります。料理を作る仕事や食べる仕事、お金を管理する仕事やお金を借りてする仕事、Webサイトを作る仕事やそれを利用して新しい価値を提供する仕事。
200年ほど前に産業革命が起き、資本主義が浸透し、近年では瞬く間にグローバル化が世界中に波及しています。10年前には必要だと思われていたことが価値を失うこともあり、親や学校の先生が信じる正しい道もあっというまに時代遅れになる。そんな時代の中でどうやって生きていこうか悩む人は少なくないのではないでしょうか。次々とあらゆる仕組みが出来上がり、自分もまた取り替えが効く部品のように扱われているように感じてしまう人は多くいらっしゃるのではないでしょうか。

果たして「標準化されない自分の価値」とは何なのだろうか。

そんな問いを頭に浮かべていた時、僕は一人の方とお話をしたくなりました。
駒村さん、吉祥寺という街でたまたま出会った彼の職業は「便利屋」。その得体の知れない職業を、彼はどうして選んだのだろうか。また、その生き方の中でどんな世界を見ているのだろうか。
そんな思いを抱きながら、この日も台風が近づく嵐の中、「呑み屋」という名前の呑み屋さんでお話をしてきました。

「ああ世の中面白いこと起こるな」と。「もう自分で何かやるしかないな」と思いました。

━━ 肩書きは「便利屋」ということですが、

左様です。

━━ そこに至るまでの過程をお伺いしたいのですが、中学や高校の頃は、もともと何をやろうと思ってらっしゃったんですか?

通常でしたら120分くらいかかるところを、3分くらいでまとめて話させていただきます。
中高と生物系の勉強が好きだったんですよね。細胞とか、小さいものの中の神秘です。たしか小学校六年のときのクリスマスプレゼントが、顕微鏡だったんです。そこから少し「覗き見って楽しいな」て思うようになったんですけれども(笑)。
高校になると物理と生物を選べるんですけど、男は大抵物理を選ぶところを私は生物を選びました。

━━ もともと理科系だったんですね。

そうですね。理科系だったんですけど、数学はそんなに得意じゃなかったです。なので、工学部とかではなくて農学部・生物学部へ自分は行きたいなと思ったんですよね。私の高校は、それほどの進学校でもなかったんですよ。どちらかというと、看護師さんとかになる人が8割くらいでした。女性9割以上の学校で、クラスに4人しか男子が居なかったので。

━━ え!そうだったんですか!

そうなんです(笑)。なので、4大に進学する人はそんなに居なかったと思います。
でも男はなぜか、4大に行こうという気概が強かったんですね。
私もその流れで「行くんだったら近くの山形大学かな」と思ったんですけど、見事に落ちて茨城大学に進みました。

━━ 何学科へ進まれたんですか?

理学部の自然機能化学科という学科なんですけど、その学科は今はないんです。
今でいうエコとか、バイオテクノロジーに関する研究をするところでした。
でも、一年目は教養があるじゃないですか。あそこで躓きましたね(笑)。
一年目で合計2単位くらいしか取れず、「やばい」と思いながら、二年目で40単位くらい取れたんですけど、もう全く追いつかなかったんですよね。
留年が確定した段階で、アルバイトに打ち込みましたね。
で、そのアルバイトのひとつがスーパーの夜間店長だったんですけど、ある時、別の夜間店長とたまたまバッティングするときがありまして、そのときに動物のイベントをやらないかって誘ってもらったんですよね。

━━ それはスーパーが主催していたイベントですか?

いえ、まったく関係なく、その夜間店長さんの別の顔ですね。スーパーの夜間店長さんって、昼間なにかやってるんですよ。
それで、その人の話に乗っかりまして、イベントの手伝いをすることになったんです。
たくさんのブリーダーさんに声をかけて、ウェブサイトも作って、イベント会場も借りました。ブースをまるごと借りて、小分けにして貸すんですね。その利ざやでお金を儲けようと。
そんな話に乗っかり、自分も経費をかけて、いろんな労力も準備に費やしたんです。せめてその日の日当くらいは期待しているわけですよね。
ところが衝撃的なことに、イベント直後から、その夜間店長さんと連絡が取れなくなったんですよ。

━━ えーーーーっっ!!

はい(笑)。「ああ世の中面白いこと起こるな」と。「もう自分で何かやるしかないな」と思いましたね。
とりあえずその頃は、インターネットとかネットスケイプナビゲーターとかが走りだったんですよね。パソコン通信からインターネットになった時期で、そのときにウィンドウズ95のパソコンを…30万くらいしたんですけど、おばあちゃんからの入学祝いで買ったんですよね(笑)。

━━ 大学へ入ったときに購入したのですか?

入ったときですね。入学して半年くらいしてからだったと思います。
「これはちょっと世の中変わるぞ」って、漠然とした直感を得まして、パソコンを結構やってたんですよね。
で、そのアルバイトを沢山やっていた時期に、「いま自分ができることと言ったら、パソコンかな」と思い、プログラマーの会社に応募したんです。
面接官の方が何を言ってるか分からなかったんですけど、全部出来ますって言っちゃったんですよ(笑)。

━━ はははは(笑)。

入社するまで少し時間があるから、「勉強すれば何とかなるかな」と思って。という流れで、プログラマーの会社へ入ったわけです。

そんなことを考えていた挙げ句、職人になろうとしたんですよ。

━━ あ、そういう感じで入ったんですね。いわゆる「就職活動」は、されなかったんですね。

ええ。一回も就職活動したことないですね。大学を出て、お金がなくなって、食べるものもなくなってから「どこかでお金もらわないと」って。切迫してこないと気が付かないんです(笑)。

━━ 先ほど仰っていた動物のイベントは、その主催の人がいなくなってからはそのまま畳むしかなかったんですか?

もう、それでおしまいですね。ただブリーダーさんとは仲良くなったんで、ブリーダーさんから個人的にホームページ作って欲しいとか、そういう依頼が来てたんですよね。でも「私はプロじゃないんで」って言って、お金頂くのは断ってたんですけども。それがだんだん「あ、もしかしたら仕事でもいけるかもしれない」と気づき始めて。

━━ そのころには「独立してパソコンを仕事にしよう」と考えてらっしゃったんですね。

そうですね。そのとき新会社法が施行されて、1円で会社が出来たりとか、そういうのが流行ってたんですよね。
この箱(パソコン)が奇跡を起こす!みたいな(笑)。そんな流れがあったんですね。まぁその直後にドンッと落ちましたけど(ライブドアショックのこと)。
仕事として始めたのはちょうど2000年くらいですね。ドンッと落ちたのを気にせず始めました(笑)。
でも最初はラダーシーケンスという、アセンブラの部品を作っていくような仕事だったので、まったくプログラミング能力も必要もなかったんですよ。

━━ ソフトウェアの部品を作って、それをまた別の会社がソフトウェアにしてっていう。

そうです。今でいうとインドとかに外注してる部分の仕事だと思うんですよね。時差を利用して、夜メールで仕事を投げて、朝起きたら出来てるみたいな。そういう「ひ孫請け」部分の仕事でしたね。

━━ 人類の繁栄は、分業・専門化・交換にあったからだ、という話がありますけど。

仕事を回すっていうのは大事です。例えば今の仕事でも、職人さんじゃないと出来ない松の木の剪定ですとか、お客さんがいくら「いいよ、べつに適当に切っちゃって」と言っても、職人さんを紹介することの方が親切というか誠意のある対応なのかなと思ってます。
要は、職人さんに頼むまでもない仕事が私達のような便利屋に来る訳なんですけど、お客さんの後々のことを思えば、「職人さんにやってもらった方がこの仕事はいいんだよなー」と思ったときもある訳なんですよね。そういうときに、お勧めしたりとか。

━━ プログラムの会社は、何年くらいやってらっしゃったんですか?

七年くらいですね。でも、なんとなく先が見えちゃったっていうか。先ほど言ったように、あくまでも下請けの下請けの下請けだったので、もう、なんですかね、自分でこの会社を大きくしようという気概が持てなかったというか。結局、社長から搾取されていると思うようになってしまったんですね。大手メーカーに派遣されたので、1年に1回くらいしか社長を見たことないんですけど。

━━ そういう会社はたくさんありますよね。

あれがあんま良くないと思うんですよね。モチベーションが保てないっていうか。

━━ そうですよね。あまりに分業化が進むと、その中にいる人達はどこにモチベーションを持てば良いかわからなくなることが、きっと沢山出てきますよね。

もちろん、製品が市場に出回ったときはちょっと嬉しい気持ちになりましたけど。でも、もはや「やっぱり独立したいな」っていう気持ちが、またムクムクと出てきたんですね。
ただやっぱり、プログラムを打ってただけでは独立できないじゃないですか。ある意味プログラムだけっていうのは、独立と正反対の道とも言えなくもないと思うんですよね。そんなことを考えていた挙げ句、職人になろうとしたんですよ。

「何をしよう」と思って家を見回すと、ハンマーしかなかったんです。

━━ 「独立したい」という気持ちからスタートして、その行き着いた選択肢が「職人」だったんですね。

そうです。たこ焼き焼屋さんになることとかも考えたんですけど(笑)。でも、若いうちは体力的なもので働いて、そこから技術的な方向で勝負できれば良いかなぁ、て思ったんですよね、単純に。
例えば家を塗装するとする時、家の周りに鉄のパイプが流れてるじゃないですか。あれを立ててる人って「足場職人」って言うんですけど。あれを眺めていたら、結構面白くて。一戸建てだったら一日で組み上がっちゃうんですよね。さらに現場によっては、その足場作りを1人でやっている人も見かけたんですよ。

━━ え、あれだけのものを1人で組み立てるんですか!

ええ。それで「あ、これはちょっといけるんじゃないかな」って思ったんですよね。

━━ それはずっと「なにかないかな~」っていう視点で街をウロウロしながら発見したんですよね(笑)?

そうです(笑)。これはできそうだなって(笑)。

━━ 面白いですね。普通だったら、足場職人さんという職業の存在自体に気づかないですもんね。

はは(笑)。たしかに。
それで、たまたま近くにその足場屋さんがあったので、いきなり行ってみたんです。そのときは28歳で、「いつか独立したい」とは敢えて言わずに入り込みました。そこで2年間働いて、7~8人の現場を任せてもらえるようになった段階で、「よし独立してやろう」と思ったんですよね。
ところが、お金の計算をいざ始めると、資材を借りるにしても何千万単位なんですよ。そこでまた壁にぶつかり、この業界は独立向きではない、と思い至りました。

━━ 一人でやるには、足場組みに必要な材料が揃えられないってことですか?

そう。まぁ確かにハンマー1本で出来そうなんですけど、問題はその他の資材ですよね。仮に塗装屋さんの仕事が雨で延期になった場合を考えると、想定以上の足場資材を現場に預けてくことになるわけです。そうなると置き場は小屋レベルじゃなくて、最低でも200坪くらいないと回せない仕事だと判明しまして。

━━ 会社をお辞めになり、足場屋さんで2年くらい修行をやった後に、その問題にぶつかったんですね。

そうですね。当時は足場屋から日当を貰えてたので、それで生活していました。
で、「もう30になっちゃうなー」と思って。
10代後半から考えていた目標の中で、20代で独立するって決めてたんですよね。

━━ ああ、もうそんな時からなんですか。

はい。「あ、もうちょっとで30歳を越えちゃいそうだ」ってことで、とにかく独立してしまおうと思ったんです。なんでもいいから。実際ちょっと越えちゃったんですけども。
で「何をしよう」と思って家を見回すと、ハンマーしかない訳ですよ(笑)。

━━ いや~(笑)。それは過酷ですね。

いま自分が出来ることをひたすら考えてましたね。例えば、草を刈る鎌(カマ)とかだったら、100円ショップでも売ってるじゃないですか。「それでもいいや」と思って(笑)。で、園芸を始めました。

━━ なんだかもう、凄いですね!

かなり無茶苦茶です(笑)。でもね、やってしまうとなんとかなるってのが不思議なんですよね。
草刈りもやりましたし、ちょっと本当に恥ずかしいんですけど、スピーカー流して「不要品ありませんか?」とか。

━━ よくいますね。

「やれることはなんでもやろう」という気持ちで始めちゃいました。

━━ それで「便利屋」だったんですね。

はい。そんなことを二年半くらい前に始めました。最初はモグリでやっていて、半年位して「いけるな」と思った時点で、ようやく屋号を税務署に届けに行って、みたいな感じだったんで。

━━ そこで、正式に始まったんですね。

「始めちゃった」系ですね(笑)。よく生きてるなーって思いますほんとに。

「仕事にする」という段階にいくのは意外と簡単。その先が大事。

━━ 便利屋といっても業務の範囲はあると思うのですが、どこまでやってらっしゃるんですか?

いま、色んな職人さんとネットワークが出来たんですよ。要は「これはちょっと自分では出来なさそうだな」とか「道具が必要だよな」と思ったときに、その道具を借りれる人や技術がある人と連絡を取れる状態になっているんです。庭の先生もいれば、土木系の職人さんもいるし、塗装が本職の方や、内装屋さんとかね。
簡単だったら自分がやるけど、いざとなったらその方々にお願いできる形をとれるように、というのを特に意識して、最初の一年は動いていました。

━━ 最初の頃は、どうやって仕事を取っていったんですか?

色んな勉強会に出ていました。今でもちょくちょく出てるんですけど。

━━ 勉強会ですか?

はい、勉強会です。朝早く集まって経営者の話を聞いたりとか、そこで仕事のご紹介をいただくことが多かったかもしれないですね。

━━ それは、勉強会のような場に行けば仕事を紹介してくれる人が居るだろう、と思って行かれたんですか?

そうですね。最初は訪問営業もやってみたんですよ。でも、あるお店のところに訪問営業してみたところ、「こうやって1件ずつ回るのも良いけど、勉強会のような場に行けば紹介してくれる人もいっぱい居るよ」と教えてもらって。それで参加してみたんですよね。それがきっかけです。
実際には、会に参加するための会費もあるので、プラスマイナスでどうなるのかな?とも思ったんですけど。でも最初の一年は、勧められたことを全部やってみようと思ってたんで。切羽詰まってる感じですから。

━━ なるほど。で、そこで紹介してもらったお客さんがいて、またそこから口コミで広がっていくのでしょうか?

ええ。今は、お客さんがお客さんを紹介してくれるって言うのが増えてますね。

━━ 場所はどの辺まで行かれるんですか?

うーんと、一番遠かったのが、山形ですね。

━━ 結構遠くまで仕事しに行かれるんですね(笑)。

チラシに「山形まで」って書いちゃったんですよ(笑)。地元が山形なもんで。
地元が共通だと、嬉しいじゃないですか。そういう気持ちの方が来てくれるんじゃないかな、と思ってチラシに書いたんですね。そしたら本当に来ちゃって(笑)。一瞬「うわー」と思ったんですけど、「もちろんです」と答えて(笑)。
あれ以上遠いところは、今のところ無いですね。

━━ 基本は東京都周辺ですか?

はい。その日のうちに行けるとこですね。

━━ チラシは、配ってるんですか?

あ、今はないですね。最近ちょっと怠けちゃって。
今は名刺をお渡しするくらいですね。チラシ版には、「コマったらコマ村」とか、色々もうちょっとふざけてるんですけどね(笑)。

━━ 以前、駒村さんの車に貼られていたチラシを見た記憶があるのですが、どのように配ってたんですか?どこかに置いていたんですか?

配ったりしましたよ。引っ越しの気配がするお家を見つけてお渡しして、「大変だったら呼んでください」とか言って。二枚渡して立ち去るんですね(笑)。

━━ そこからまた広がることを想定してるんですね。

そうですね。一番良いのが手で配る方法ですね。ポスティングは一回もやったことないです。

━━ 確かに、そのとき顔を合わせていれば、何かしらコミュニケーションがありますもんね。

はい。「自分が取りに来ますので」と言えば。

━━ 駒村さんは、その「とりあえずやってみちゃおう」という飛び込む勢いが早いですよね。

達人レベルというものがあるとします。まずは誰でも素人ですよね。そうすると、最初そこに至るまでこんな曲線になるんですよ。

こんな曲線になるんです。例えば、植木職人さんになりたいなって思った瞬間にまず知るとか見るとか、その段階でもうちょこっとすぐ上がるじゃないですか。で、体験するって段階でがーんと上がっちゃうんです。で、仕事にするっていうのは、そんなにないと思うんですよね。うん。でも達人とかになるには、あともう年月かけれるだけなんですけど、段階的にはこんな感じ。その段階にいくのが早い人間だと思ってたんですよね。
逆に「飽きっぽい」とも言われるんですけど(笑)。

━━ 仕事にするにはすぐ出来るけど、その先が長いんですね。

そうですね。「その先」というのは、手際の問題だったり、細かいとことか、そういう本当に枝葉の部分ですよね。大きな部分は一気に出来るようになるんですけど。

━━ 僕の場合は「これは仕事に出来る」と判断することが、どうしても難しく思えてしまいます。

意外と知識って言うのは、素人から見ると「そこまで行くのは大変なんだろうな」って思ってる方が殆どなんで、逆にそれだけ年月をかけたのであれば、むしろ自信をつけて、あとは思い切るだけですよね。

デジタルとアナログの隙間で人々を幸せにする。

━━ 10代から「独立したい」って思ってた、と仰ってましたけど、どうして「独立したい」って思ってらしたんですか?

なんとなく、お金持ちのイメージですね。

━━ そういう方が身近に居たんですか?

大学を出たときに、もう自暴自棄というか、組織に入って周りのみんなと勝負しても、周りの人たちの方が先に昇進していくんだろうな、と思ってました。だったら組織に属さない方が良いんじゃないか、と。1人であれば、自分が一番な訳じゃないですか。
仮に同じ努力をして、同じ成果を出して、それでも周りの人たちの方が先に出世とか給料的なものが上だったりしたら、現実としてはよくある話だと思うんですけど、それはちょっと面白くないなって、思ってたんですよね(笑)。

━━ 同じ土俵でそういう人達と戦うよりも、組織に属している「そいつ等」と別の次元で戦った方が良い、という考えだったんですね。

もう一つは、自分の祖母が体悪くしたときのことも影響していると思います。祖母が危篤だと言われたとき、自分は仕事してたんですよ。「祖母の調子が悪いので、仕事途中ですけど帰って良いですか」って会社で言ったときに、そもそもそういうことを確認しなきゃならない自分がすごい嫌だったんですよね。そんなの、何を置いても先に行くべきじゃないですか。でも、電話しなきゃならないっていうこと自体が、人としてどうかなって思ったんですよね。結局、祖母の死に際には間に合わなかったんですけど。その経験から、自分は「自分で時間を調整できるような仕事に就くべきだな」と思ったんです。
今もしそういうことがあったら、正直に状況をお話しして、仕事を放って行きますからね。「明日フォローします」て言って。

━━ 僕も、今年一月末に祖母が死んでしまったんですよ。そのときにはすでに「死んでしまった」っていう連絡が先に来て、お風呂場で倒れて亡くなっていたのを見つけたっていう話だったんです。駒村さんの状況とは違いますが、結局僕は休ませてもらえまして、会社の人達は暖かく「気にしなくていいから」って言って、代わりに仕事をしてくださったりしたんですけど。

良い会社ですね。

━━ それを見て僕の親たちは「優しすぎるね、あなたの会社は」とか言ってました(笑)。何もそんなこと言わなくても良いのにって思いましたけど(笑)。

おばあちゃんは最後、独居してらっしゃったんですか?

━━ 僕の母の妹と家を並べて住んでたんですね。24時間の交流ではなくて、二日に一度何かを渡しに行ったりとかしていたみたいで。

そういうお宅は多いです。ほんと、どけんかせんといかん問題ですよね。

━━ テレビのニュースとかでそういう独居老人の報道を見ていて「ああ自分の家でもそういうことが起こった!」て思いました。亡くなってからそんなに時間は経っていない、という報告だったんですけど、その瞬間では誰も気づかなかった訳じゃないですか。おかしいなって思うのも、次の日に誰かが物を届けに行ったときっていう。社会で問題になっていることが、うちでも起こったんだっていうことがすごく衝撃的で、かつ自分も親と離れて一人暮らししているので、その自分の暮らし方に少し疑問を持ちました。

そうですよね。いま400万人いるそうなんですよ、その独居老人が。その人達っていうのは、知らせる術を持っていない人が大半じゃないですか。でも、どうにか解決する方法があると思うんですよね。お金がかからない仕組みが。それを未だに探しています。
最近注目しているのが、「安心カプセル」というものがあって、「家の中に安心カプセルがあります」っていうのを玄関に貼っておくんですね。その「安心カプセル」というのは、自分の持病とか血液型を書いて冷蔵庫の中に入れておくんですよ。いざなにかあったときに救急車が来て、すぐに冷蔵庫の中を確認して、その人にあった処方を施すっていうのを。

━━ あーなるほど。そういう確認も出来ないから対処が遅れてしまうってことがあるんですもんね。

ただ、あとは通知する方法ですよね。毎日やることって言ったら、トイレとか食事とかですよね。色んなメーカーがそのへんも研究してるんですけど、やっぱりコストがかかったりするじゃないですか。それが、極限にかからない物として、トイレの流れるとこに水の力を感知してアラームをあげれるような仕組みを考えて、一応特許庁までいったんですけどね(笑)。

━━ そんなこともやってらっしゃるんですか(笑)。定期的にトイレに行ってるのが分かるってことですよね。

12時間以上行かなかったら、自動的にアラートが飛ぶと。

━━ 良いと思います。何がなんでも行かなきゃいけないものってトイレですものね。お風呂とかは入らない人もいるかもしれないですが、トイレは行かないと大変ですから。

商品化するにあたって課題は色々あるでしょうけど、今はまだそのへんの活動はのんびりやってる感じなので。

━━ それはいまの仕事をやりながら…

こういう思ったことを出来るっていうのも、フリーでやっているメリットっていうか。

━━ そうなんですね。僕は、結局その祖母の側に居なかったので。別に遠くに住んでいた訳ではないんですけど、亡くなる前の数年間は、いったいどれくらいの言葉を交わしたんだろうって。お葬式のときに思い返したら本当に少なかったです。

たしかに距離的に離れてしまうと、そういうこともあると思うんですよね。向こうにも気を使わせてしまうし。なので、その地域のコミュニティとか隣の人が何の用もないのに見に来てくれるとか。女性の方はそういう関係を築きやすいんですけど、男性は仕事ばかりやっていた方が多いので、いざ定年になると一人でテレビを観てたりとか、そういう方が増えちゃいますよね。そういうときにiPadとかを使って、隣の人の様子を隣の人へメッセージで送るとか、家の前を通った人にBluetoothを使って通知するアプリを入れて、「あ、今日は散歩してるなぁ」とか。

━━ 家の前を通るたびに、その家の人が生きているっていう通知が入るんですね。

デジタルとアナログの融合っていうか、両方の長所を生かしたコミュニティですよね。孫さんがデジタル革命で人々を幸せにするって言ったときに、自分はデジタルとアナログの隙間で人々を幸せにしようかなって思いました。必ずそっちの方の需要はあるなって思っちゃったんですけどね。

━━ そんなことを考えるのも大事ですよね。

消防車の仕組みを知りたい、という問い合わせがあった。

━━ 便利屋をやってらっしゃると、お客さんは年配の方が多いんですか?

意外と過半数は法人さんだったりします。残り半数が個人の方で。なおかつお年寄りの割合は、たしかに多いんですけど、思ったよりお年寄りばかりではないですよ。

━━ 法人が多いんですね。

そうですね。定期的な草刈り系の仕事ですとか、蛍光灯の交換ですとか。工場とか多いんですけど、鉄骨階段とかが劣化しているものを修正したりしてます。あとは、引っ越し屋さんの隙間とかですね。引っ越し屋さんが来る前に段ボールを届けるとか。はっきり言えば誰にでもできる仕事なんですけど、そういった隙間の仕事ですね。あとは、解体屋さんが入る前に解体しやすいような状態にするとか。

━━ そういう仕事があるんですか。

まさに職人さんが面倒くさがる部分を、自分がやってしまうという。

━━ それは仕事を始めてから「あ、ここに仕事をやる余地があるな」って発見しながら仕事を作っていったんですか?

そうですね。隙間、隙間。隙間が大好きです(笑)。

━━ 独立をして、便利屋を始めて、印象に残っている仕事ってありますか?

消防車の仕組みを知りたいっていう問い合わせがあったんですね。

━━ 消防車の仕組み、ですか(笑)?

「あれ水も一緒に運んでると思ってるんですけど…どうなってるんでしょう?」みたいな。とりあえず「ネットで調べて30分後くらいにまた連絡します」と言って、電話を切って。それで、お答えしたんですね。お孫さんに聞かれて困っちゃったのかなって思いつつ、とりあえず電話でお答えしたんです。その時はお金の話はしないで。でも、そこで信用してくださったのか分からないんですけど、今では定期的に呼んでくださるお客さんになってるんですよ。だから何がきっかけになるか分からないなって思ったんですよね。

━━ 本当になんでそんな電話をしたんでしょうね(笑)。

試されてるんじゃないでしょうかね。

━━ どっかでチラシを見たんでしょうか。

そうでしょうね、面白かったです。
あとは、いつも一日現場をやった後に「今日のハイライト」はどこかなって考えるんですよ。

━━ えー!いつもですか(笑)。すごい!

「あそこは、ああすればもっと早く出来たかな」とか。やっぱ遠くの現場とかもあるので、移動時間が長いんですよ。だからその時間は、そういうことを考えちゃってますね。たまたま前に使っていた軽トラックのラジオが壊れていたんです。どうせラジオが鳴らないんだから、自分で質問して自分で答えてみたいな。そんなことをやりながら、「今日の良かったことと悪かったことは、あれですかねぇ」とか言って(笑)。

━━ 1人インタビューですね。いつもそうやって振り返ると良いでしょうね。

やはり、みんな忙しいじゃないですか。その日の反省をすることなく、次の日の準備をして終わりになっちゃうと思うんですけど、私の場合は特に意識してそういう自問自答をしてますね。移動時間は特に。

「サテライト方式」便利屋ネットワークを作りたい。

━━ これからのお仕事についてもお聞きしたのですけど、他にやろうとされていることもあるんですか?

もう少し、規模的に大きくしたいなとは思っています。ただ、従業員を抱えるというのではなくて、お互いが独立したまま緩く繋がっていられるような関係を増やしたいと思ってます。「サテライト方式」と勝手に呼んでるんですけど(笑)。
便利屋が居て、別の場所にも便利屋が居て、お互いの仕事には干渉しないけども、信頼し合っていると。例えば自分に対して3000円でお願いされた仕事があるのだけれど、移動距離が大変で対応しきれない場合、その近くに居る仲間へ電話をして、その人が主体になって全部お任せして仕事をしてもらう、と。
「ナカマップ」っていう「おもしろ法人カヤック」が開発したツールがあるんですけど、アプリを入れた人がどこに居るかリアルタイムで分かるようになってるんですよ。そのツールをメンバーに渡しておけば、「すぐ近くに仲間が居るんでその人にやってもらいますよ」と言って対応ができる。もちろん常連さんだったら自分が行きたいんですけど、新規のお客様で、かつ急ぎの仕事とか。自分に「来て欲しい」と言ってくださるお客さんが居るのは嬉しいんですけど、そういうときに近く仲間に頼れる仕組みがあれば良いかな、と思ってるんですよ。
で、その緩い組合を作りたいなと思いつつ、もう半年経っちゃてます。何もせず。

━━ 面白いですね。カヤックのサービスとか、そうやって色んな技術を活かせるんですね。

逆にデジタルから貰った気付きっていうのはありますよね。こういう使い方ができるんじゃないかなって。アプリは好きなんですよ。たまにTwitterで「今日の思いつき」って感じで、自分で作るんじゃないんですけど、誰かに作って欲しいって思ってアイデアを書いてたります(笑)。

━━ 便利屋ではない土俵へ行く可能性も考えてらっしゃるんですか?

無人島に行って、何日生きれるか試してみたいですね。

━━ なんですかそれは(笑)!

65歳で生前葬をして、死んだことにしておいて、無人島へポイッと行って、何日居れるか試してみたいですね。

━━ 戻ってきてくださいね(笑)。

いやもう心配する人はいないですよ(笑)。その年になったら。「あ、どうぞ」って。夢ですね。

仲間だったり身近な人が達成すれば、いつか自分へプラスに働く。

━━ 仕事をしている上で、また生きている上で、大事にしていることをお聞きしたいんです。その、例えば「安定」とか「お金」とか、独立している方だとまた違った価値観があると思うのですが、駒村さんの価値観・大事にしていることを教えていただけますか?

常に「予想外のことが起きて欲しい」って思ってるんです。感動が多い人生にしたい、と思っているので。例えば「今日この人が来てくれるはずなんだけど、来なかった…。」とか、いきなり見知らぬ人から「つけヒゲ」をもらったりとか、そういうのをちょっと(笑)。

━━ 見知らぬ人から「つけヒゲ」ってなんですか(笑)!!

とにかく、予想外のことが起こった方が楽しいな、と思ってますね。最終的に自分だけしか経験できなかったことを増やして、無人島で小説でも書きながら、その小説が50年後に評価されれば良いかな、とか。死んだ後にね。

━━ それをさらっと仰る駒村さんは格好良いですね。

相当恥ずかしいこと言ってますね。

━━ 掲載させていただきますけどね。

家庭教師をやっていたときに、生徒に「先生何になりたいの」って言われて「小説家かなぁ」と言っているので、その約束を守りたいっていう気持ちがあるんです。「ちゃんとなったでしょ」って。

━━ そのときに結んだ約束を、そんなにも大事にされているんですね。

小さい約束って大事なんですよね。とくに自分より若い人とした約束っていうのは、絶対守るべきだと思うんです。
…あ、ちょっと脳裏に「ごめんなさい」っていうのがよぎったので、オフレコでお願いします。

━━ 掲載させていただきます(笑)。でもそういう約束事はできるだけ大事にしようと思われてるんですね。
駒村さん自身のどんなところが、いま楽しくやっていけてる結果に繋がっているのだと思いますか?

あまり人と比べないところじゃないですかね。例えば「iPad良いなぁ」とか一瞬思うんですけど、まぁでも「誰かが使い飽きたら貰えるかもしれない」とか、「もしかしたら道に落ちているかもしれない」とか。何かを手に入れるためには、たしかにお金持ちになることが一番手っ取り早いかもしれないですけど、それだけじゃなくて、色んなアプローチで欲しい物を手に入れる。物事を達成するには意外と色んな方法があるんじゃないかなって思うようにしてますね。「一つじゃないぞ」と。尚かつ、自分が達成しなくても、仲間だったり身近な人が達成すればそれで良いんじゃないのって思います。そして、「分け前」じゃないですけど、身の回りの人が成功すれば、いつかはそれが自分にもプラスに働く。仏教ではエコーって言うらしいんですけど、周りに富を分けると自分へ戻ってくるという考え方ですかね。

━━ 自分が与えられる物を人に与えることによって、自分にも何かが返ってくるかもしれない。

返ってこなくても良いんですけど、でもその方が自分に納得できるじゃないですか。「よし、今日も良いことした」って。

━━ いつかそのうちの何%かが返ってくるかもしれないし、返ってこなくてもそれはそれで良いな、という心持ちなんですね。

そうですね。そんな感じですかね。よし、良いこと言った(笑)!

━━ たくさんの良い言葉、いただきました!ありがとうございました。

時折突発的に洒落の効いた話し方をされる駒村さんは、その語り口だけでなく、生き方自体もどこか突発的で洒落が効いているように感じました。それは決してふざけていたり思いつきだったりするわけではなく、あくまでも「自分」に対する探究心、向き合い続けて生み出した生き方なような気がします。
そんな生き方を通して見つけてきた様々な気づきを経て、今駒村さんは、彼自身の言葉の中にもあるように「周りの人たちを大事にしたい」という思いに至っています。そして、独居老人の孤独を守るきっかけ作りや、同業者とのネットワーク作りなど、ただの「便利屋」であるだけでなく、限りなく多方面に自分の技を活かそうとしていらっしゃる。

「周りの人たちを大事にしたい」と思える駒村さんの気付き自体が、きっと「標準化されない自分の価値」なのでしょう。

人の生き方というのは、やはり無数に存在するわけで、今皆さんが好きな人・むかつく人・憧れている人・馬鹿にしている人、それぞれの人自身も、きっと苦手なものがあり下手なことがあり、輝いているものを秘め、誰にも負けないものを持ち合わせているのだと思います。
決してそれらをすべて尊重して生きることなんか出来ませんが、「そういうものがある」ということを心のどこかに留めておきながら生きていけたら、もう少し広い世界と人を眺められるようになるんじゃないかな、と考えてみたりました。

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