Interview

vol.03 藤原 愛(ネクタイデザイナー)

藤原 愛(ネクタイデザイナー)

藤原 愛 Ai Fujiwara
1983年東京都生まれ。2006年大学卒業と同時に サンコーエーシーピー株式会社に入社。会話のきっかけを生み出す「コミュニケーションネクタイ」をはじめ、様々な「デジタルアパレル」事業を展開。同社でネクタイデザイナーやその他多くの業務を担う。「写真でネクタイを作り、楽しむことを伝えていきたい」という思いから、2009年『Photo Art Tie』の名前で自身の撮った写真でネクタイの制作も始めている。
コミュニケーションネクタイ:http://www.communication-necktie.com/
Photo Art Tie ギャラリー:http://sanko-acp.com/ai/index.html

今まで僕たちの社会は、女性と男性が持つ「機会の差」を無くすために、長い時間をかけてきました。女性は大学に通い、仕事を得て、今では管理職や行政職につく方も増えています。
しかし平等を求め続けた社会は、一部で女性を苦しめる結果も生み出しています。体力的な差、子供をお腹に抱える事からは逃れられることなく、けれども社会の中では男性と同じ役割を求められる。

一概には言えないですが、女性はいつの時代も、前例のない道を懸命に探りながら生きているような気がするのです。だからこそ、そんな女性が持つ真っすぐな視線は、とても力強く、魅力的に映るのだろうと思います。

そんな「強さ」を感じる女性に話を聞いてみたいと思い、頭に浮かんだのが、ネクタイデザイナーの藤原さん。
彼女が作るネクタイは、お客様の個人的な思い入れのある写真をオリジナルでプリントしたもの。また、季節や行事をネタにしたユニークなものが中心となっています。いわゆる「普通のネクタイ」ではなく、クスっと笑えたり、楽しいメッセージが印刷された印象的な商品達。
そんな印象的なネクタイを締めれば、きっとみんなに「なにそれ!?」と言われるでしょう。
そこが彼女の作るネクタイの肝であり、そのように周りの人の関心を集め、会話を始めるきっかけ作りを狙いとしているのです。コミュニケーションを生み出すネクタイ、名付けて「コミュニケーションネクタイ」。

僕は彼女が自分の商品について語る姿が、以前からとても印象に残っていました。
自分が作ったネクタイ、それが生み出す新しいコミュニケーションの世界をとても強く語る。
そんな彼女の「強さ」は、どこから生まれているのだろうか。

彼女の仕事場である、東京の八丁堀の事務所へお邪魔させていただきました。

数学のドリルとか一回も解いてない(笑)。剣道一筋でした。

━━ 仕事を始めてからは、何年経つのでしょうか?

6年くらいですね。気づいたらもう6年になってました。あっという間に。

━━ コミュニケーションネクタイというコンセプトを作ってから6年経つんですか?

コミュニケーションネクタイは、私が入る前に社長が作ったものなんです。それを作ってから多分もう10年くらいになるんですね。私が入るちょっと前に作ったみたいで。

━━ 社長がずっとやっていて、それを引き継いでやってくれる人を探してた、ということなんですか?

うちの会社はもともと被服をやっている会社で、そっちは歴史が60年ある会社なんですね。銀行のユニホームなどをずっとやっていて、でもだんだんユニホームも売れなくなってきたんです。その頃うちの社長が叔父さんから会社を継いで、だんだんリストラをして縮小していって。語学が達者な人なので、海外から何か面白いものを持ってきては日本で売ったり、色んなビジネスをやってきたなかに、インクの販売があったんです。でもインクを売るだけだとつまらないから、「自分たちも何かモノを作ろう!」と。その時に社長のひらめきで「ネクタイが面白いんじゃないか」となって、ネクタイの販売が始まったんです。

━━ そのひらめきが面白いですね。

そう、すっごい面白い。売るばかりだとつまらないし、モノ作りしてみないと説得力もないじゃないですか。インクを売るのに「凄いんですよ!」て言っても伝わらないから「こんなことができるんです」と見せるデモンストレーション用に機材を買ってくうちに、気づいたら自分たちの本業になってた、という。

━━ 実際には、お金になっているのはどちらなんですか?インクを売る商売も続けていらっしゃるんですか?

今はあまりやっていないんです。そっちのほうは縮小してきて、今はネクタイとかラグビージャージがメインです。社長がラグビーやっているので(笑)。

━━ そういう流れで今の商品があるんですね。いまそれを仕事にしていらっしゃる藤原さんが、どんな過程を歩んで今の仕事と出会ったのか伺いたいのですが、高校生の頃はどんな学生だったんですか?なりたかったものはありましたか?

なりたかったものは…ないです!でも、ちょっと憧れていたのは心理カウンセラーですかね。心理学が好きだったから。

━━ 高校の頃から心理学という学問が好きだったんですか?

そう。人の相談を聞くことが結構多かったんですね。
というのも、高3の4月に私の母親が突然脳腫瘍で倒れちゃって、急に看病をしなきゃいけなくなったんです。私自身がそういう家のことで抱えている問題があったから、逆に周りの人はたぶん私に相談しやすかったのかもしれない。だから相談を受けたり、励ましたりすることが多かったです。そういうこともあり、心理カウンセラーに憧れた時期がありました。
でも「すっごくなりたい!」という感じじゃなかったですね。
幸せな家族を作りたいっていうのが一番の目標だったので。周りの人は「薬剤師になりたい」とかしっかりしたことを言っていて、私は結構ぽーーーっとしてたと思います。「あ~幸せな家族とか~築きたいな~」みたいに(笑)。

━━ そうだったんですね(笑)。その頃、打ち込んでたものはありましたか?

剣道ですね。中学と高校で剣道を続けて6年間やってました。剣道しかやってないくらい、高校のときの思い出は剣道ばっかり(笑)。

━━ 僕の勝手な妄想では、生徒会とかやっていたのかなって思っていたんですけど(笑)。

中学のときは生徒会の会計やってました(笑)。

━━ そういう雰囲気がありますよね(笑)。

中学のときまでは真面目だったんですよ。真面目と言うか、勉強をすごくやっていたんです。でも高校に入ったらみんな頭良くて、自分は全然勉強しなくなりました。数学のドリルとか一回も解いてない(笑)。物理なんて0点取っちゃったし。

━━ それはなんでそんなに変わったんですか?

別に「勉強がイヤ」というわけじゃなかったんですけど、私の高校は本当に自由な学校で、校則とか何も無い。生徒手帳も無い。二つ折りの厚紙に写真貼って、なにか簡単に書いてある緑色の紙があっただけで、生徒手帳が無かったんです。だから校則も無くて、すごく自由でした。格好も私服で良いし。
ただ自由なんだけど、なぜか、みんな乱れないんです。「規律」をある程度自分たちで分かっている。そういう雰囲気の中で、好きな剣道だけ一生懸命やっちゃって。勉強は、テスト直前に「あ!もうテスト前!?」みたいな感じでした。

━━ みんな、やりたいことを突き詰めるっていう校風だったんですね。剣道は僕もやっていたのですが、藤原さんはどのくらい剣道に打ち込んでいたのですか?

都大会ベスト16まで行ったんです!結構、勝ち気なとこがあって。先生に「お前は先方だ」って言われて、先方をやってました。先方って暴れ馬ですよね。負けても良いけど、チームの気合いを全部見せてこい、みたいな役割じゃないですか。高2のときにレギュラー取れて、先方になっちゃって。でもその時ノッてたんで、凄かったですよ。転んだ相手も打ってましたから(笑)。それで一本取ったこともありました。

━━ 恐いですね(笑)。女性の剣道家ってなんか恐いんですよね(笑)。

色々我慢しているうちに分からなくなっちゃったんです。

━━ 剣道に打ち込み、勉強はあまりやらなかったけど、受験は来るべきときにしっかり勉強したんですか?

私の場合はちょっと特殊なんです。私の人生の中で、やはり母親が病気になったことがとても大きい出来事だったんですね。私はお母さんっ子だったから、突然倒れた母親を前に、急に母親がやっていたことを自分でやらなくちゃいけなくなって。それが高3のときだったんだけど、自分のことを一番考えたい時期ってあるじゃないですか、高校3年から大学生にかけて。

━━ そうですね、あります。僕もちょうどその時期ずっと考えてました。

でもその高3から大学時代にかけて合計5年間が、まず家のことを考えなければいけない、という優先順序だったんです。余った時間で自分のことをするんですけど「これやりたい」と思っても、「お母さんに何かあったときにすぐに行けない」と思って我慢したり、父親からも少しだけ抑圧があって。
もともとは高3で普通に受験しようと思っていたのだけど、「もしかしたらお母さんがあと1年持つか分からないから、この1年間はお母さんの側に居てあげたら?」と兄に言われて。
もともと私は学歴とかに興味ない方だったので、兄に言われた通り「そうするか」と思ったんですね。「落ち着いたらまた受験して大学行けば良いし」と思っていて。周りは受験一色だから、立場があまり無い中だったんですけど、とりあえずそうしたんです。
でも父は、ちゃんと大学に行って欲しいって思ってくれていたんですね。もしお母さんに何かあったとき、私のすべてが無くなっちゃうことが心配だったみたいで。だから「大学には出してあげたい」っていう思いがあったみたいです。
そんななか、高3の10月くらいに学校の先生が指定校受験の二次募集を紹介してくれて「指定校推薦か、勉強に時間取られなくて良いかも」と思ったんです。先生にすぐ相談して、結局2日間くらいで進路全部決めてしました。進路指導室で「私の偏差値で入れて、試験がなるべく楽な大学。どこか良いとこありませんか?」と言って紹介してもらって。「あ、じゃあそこで」ってパッパッて決めちゃいました。
そういう経緯で、日大の法学部新聞学科っていう変わった特殊な学科に入りました。

━━ 新聞学科を選んだことは何か影響ありましたか?

メディアについて学べば学ぶほど、メディア関連の業界には行きたくなくなりましたね。「あ、そんな裏側があるのか」と思うようになるので。授業は一応真面目に受けてましたけどね(笑)。

━━ そこには興味が沸かなかったんですね。

沸かなかったです。でも大学でマーケティングのゼミに入り、そこで少し変化がありました。

━━ マーケティングですか。

女性の先生だったんですけど、今は大学を辞めて、Googleの執行役員でマーケティング本部長をやってる方なんです。その先生のゼミに入って、そこでマーケティングの勉強していて、あの頃フリーペーパー全盛期だったので、私はリクルートのホットペーパーの研究をしてました。結構厳しいゼミでした。大学自体はなんとなく入ったんだけど、そのゼミは一生懸命やったんで、今になって「頑張って良かったな」と思ってます。

でも基本的に、高3から大学の5年間はずっと葛藤だったんですよね。「あれやりたいけど、今はだめ」と抑制していた時期だったので。週に3,4回は家のご飯を作っていました。遊びたかったりデートもしたいんだけど、家に居なきゃいけなかったり。そういうバランスを見て、気を使い過ぎてました。葛藤だらけの5年間で。

━━ その葛藤と言うのは、根本的に何が一番辛いことだったんですか?

葛藤した5年間で、私は私を忘れてきちゃったんです。たしか自分はもっと社交的だったりアクティブな人間だったはずなのに、色々我慢しているうちに分からなくなっちゃったんですよね。すごく消極的になってました。例えば就活で自己分析するじゃないですか?あれが本当に辛くて(笑)。何か煮え切らない思いが強くなっていって「私ってどんな人間だったんだっけ?」という疑問が膨らみ、すごく葛藤していました。端から見たら大したことじゃなかったかもしれないけれど、渦中の自分はほんとに悩んで辛かったです。

━━ 家事など「やるべきこと」が増えすぎて、元々の自分を忘れてしまったんですね。

もっと人と深く関わりたかったんですよね、遊びに行ったり泊まったりとか。そういうことがあまり出来なかったから、惜しかったなって思ってます。
大学時代にそうやって色々自分を制御してたので、突然絵を描き始めたり詩を書いたりしてました。ああいうのって抑圧されているときのほうが出るんですよね。

━━ それ分かります。創作意欲は抑制のなかで生まれるっていう。

ですよね。なんか自由奔放なときって、楽しいから創作のほうにはあまりいかなくて。でも、そうして色んな自分の中の何かを表現することが出来たことは良かったかな。
あとは、葛藤してたんだけど、元気ではいたんですね。表向きはすごく明るかったし、人を励ます方だった。心の中はぐちゃぐちゃだったかもしれないけど、端から見ると明るい。社長はそういう明るい子が会社に居たら良いなって思ったらしいんですけど。
葛藤して抑えていた分、社長という親じゃない第三者の大人が自分を認めてくれたっていうことに感動して、救われました。「なんだ!これから私に楽しい未来とか、これから可能性があるじゃん!」みたいに。そのときにだんだん自分を思い出して行くというか。抑圧していた分ばーって花開くみたいな。就職した時は、そんな感じでした。

家族に心配されていたネクタイの仕事。でも気付いたら兄が親戚の前で私の仕事の説明をしてくれていた。

━━ その会社との出会い、つまり社長との出会いの話を聞かせてください。

辰巳の森海浜公園っていう公園でアルバイトをしていたんです。その公園の場所を貸し出す抽選会が開かれていたんですけど、公園管理の社員さんが来る前に、バイトの私は抽選会に来ている人達とよくお話をしていました。そこに社長が居て、「私、就職活動中なんですよ」とかそんな話をして、その時に覚えてくれていたんです。社長としても、ネクタイの仕事で注文が殺到していた時期で、猫の手も借りたいくらい忙しい時期だったんですけど、私のことを大学生だと思わずフリーターだと勘違いしていて「明日にでもうちの会社に来て欲しい」と思っていたみたいなんです。1ヶ月後にまた社長が公園に来ていて、名刺と「興味があったら会社に来て欲しい」との伝言をもらったんです。それを聞いて、私は電話をして会社に呼ばれたのが、ここの部屋でした。

━━ まさにこの部屋だったんですか。

そう。「なにこれ!?」って。大きな機械が2,3台置いてあって、パソコンも3台くらいあって。マンションの一室にこんな場所があること自体が本当に驚きでした。そんな流れで、この会社と縁があって入社したんです。
社長と食事に行ったりして色んな話を聞いて、「この人は面白い人だ」って思ったんです。普通の人の感覚じゃないことを考えている。こんな人には今まで会ったことなかったし、ちょっと頼れる感じもあったし、この人に付いて行ったら私の人生面白いことが起きるんじゃないかっていう直感だけで入りました(笑)。だから、周りはちょっと心配してたかな。

━━ 確かに心配するかもしれませんね(笑)。でもその直感や勢いが凄いと思います。

昔から直感で動くタイプなんですね。ピピって来て。「ここにしよう!」みたいな。

━━ ご自分で撮った写真をネクタイに印刷している「Photo Art Tie」とかもやってらっしゃるので、もともとそうした活動をしている中で、この会社や社長と出会ったことによって「コミュニケーションネクタイ」というものを作り出したのかと思っていたのですが、もともと社長が目をつけてやっていたことに愛さんが加わった、ということなんですね。

そう。でも最初は完全にインクの販売をするものだと思ってました。入社したあとに、社長からネクタイの話を聞いて、「なんですかこれ!すごく良いですよ!」て言ったんですね。社長の考え方は一貫していて、苦手なことをやらしても人は絶対に伸びないから、そういうのは切り捨てていって、自分の本当に好きなことを伸ばす、という考えなんです。好きなことしか伸びない、好きなことをやらせるのが一番良いという。私の場合は絵を描くことが好きだったので、ネクタイの方が向いてそうだって言って。ちょうどネクタイの仕事も忙しくなってたんで、そちらが主軸になっていったんです。ジャージとかもやっているけど、「ネクタイデザイナー」ということで一本立たせてやっていくのが良いんじゃないか、と。

━━ プロデューサー能力が長けてらっしゃるんですね。愛さんが居なかったら、いまのようにネクタイに注力はしていなかったかもしれませんよね。

そう、それもタイミングとか縁ですよね。

━━ 以前、藤原さんが出演していたラジオを聞いて、自分が作っているものをちゃんと自分の言葉で語ってらっしゃることに強く感心したんです。コンセプトを立ち上げたのは社長でも、それを自分のモノにしていることは素晴らしい才能だな、と思ったんです。

向いていたのかもしれないですよね。

━━ 自分がそういう風になれると思っていましたか?

全く思ってなかった!でも人と違うことって好きですね。同じことをするより、ちょっと変わったことが好きで。コミュニケーションネクタイって「誰がするの!?こんなネクタイ!」っていうものばかり作っているじゃないですか。

━━ そうですね(笑)。僕もはじめ思いました。すみません。

ですよね(笑)。最初、縫製を頼んだネクタイ屋さんに「こんなのは絶対に売れない」って言われたんです。社長が始めた頃の話ですが、「一本一本作るの大変だし、その分工賃高いよ。やってあげても良いけど、誰も買わないよ。辞めた方が良いよ。」と何回も言われたらしいんです。

━━ 赤ちゃんの顔写真とか、お客さんが撮った個人的な写真を並べた模様のネクタイですよね。

そう、最初アメリカで始めた人が居て、社長が日本でも絶対いつか流行るって思って始めたのですが、周りの人はみんな否定的。「いいから作ってください!」と無理矢理作ってもらって。でもね、今はその縫製屋さんも「コミュニケーションネクタイが一番伸びてる」って言ってくださるんです。
私自身も家族にすごく心配されて、ちょっと馬鹿にされました(笑)。兄なんて、引きつった顔で「誰がこのネクタイするの?てか、これ売り上げいくら?食べていけるの?」って。

━━ 説明するの難しかったですか?僕も、そこは一度不思議に思ったことがあります、大変申し訳ない話なのですが。

思いますよね(笑)。でもね、1人や2人でやっているビジネスとしては問題なく、毎月コンスタントに伸びているんです。リーマンショック以降たしかに売上は下がったし、トントンかもしれないけど、「やれてる」っていうレベル。
一番嬉しかったのは、家族からの理解ですね。気づいたら兄が親戚の前で私の仕事の説明をしてくれたんです。私がしゃべる前に兄が先に説明しているくらい、いつの間にかすごく応援してくれていた。最初は飽きれて心配してたのに。それは嬉しかったです。

人の想いのこもったモノは心を打つ。それがきっかけでコミュニケーションが生まれる。

━━ 家族もしばらく藤原さんの姿を見て、だんだんと安心して、会社に対する信頼も出てきたんでしょうね。

テレビ出演や雑誌取材とかの影響が大きいと思います。入社してから10個くらいあったんですね。例えば、父の日グッズとして取材されたりとか、NHKに出たり、新聞に取り上げられたり。そうすると「あ、こういう時代なんだ。こういうのがウケる時代になってるんだ。」と家族や周りの人が認めてくれるようになりました。
何よりも、一生懸命やっていて忙しかったから。最初の頃は、早く帰れる日なんて3~4ヶ月に1日くらいしかないくらい、本当に毎日遅くまでやっていて忙しかったです。ジャージは10チームくらい抱えて、ネクタイだったりTシャツ作ったりユニフォーム販売したりとか、色んなことやってました。忙しかったけど、何より楽しかったです。

━━ そこもまた凄いですね、忙しくて翻弄されているなかでも、それをしっかり「楽しい」と感じていたんですね。

会社入って本当に楽しくてしょうがなかったんですよね。こんなに楽しいことがあるんだって。例えば、お客さんとやり取りして、デザイン送って、「あぁ素敵なデザインですね、これでお願いします」って、それだけで嬉しいじゃないですか。そして送り届けたあとにまた、こんなに感謝のメール貰える仕事ってあんまりないと思うんですよ。それが本当に励みになったし、嬉しいんです。あとは自分でパンフレット作ったり、ホームページ作るのも覚えて、どんどん何でも自分でやんなきゃいけなくて、もちろん途中で葛藤もあったし、社長と何回も喧嘩して、東京駅でワンワン泣いたこともある。本当にガチンコみたいにぶつかり合ってやってたので(笑)。
もう何回もぶつかったし、今もぶつかるけど、でも「なにくそ!」「悔しい」って思って、その日は帰ってから寝ないで朝までホームページ作るとか。もう意地ですよね。

━━ その意地ですね!「意地」なんだ。

ゴールデンウィーク全部ホームページ制作に当てるとか(笑)。

━━ 強い気持ちの持ち主ですね(笑)。

もうひとつは、親を良い意味で見返したいと思っていました。「こんなところに入って大丈夫か?」って言われてたから、良い意味で裏切ってやろうと。
最初の頃はそういう思いとか、あとは単純に楽しいっていう気持ちで突き進んでましたね。本当に楽しいんです。もし自分の下にこれから新人の子が入ってきたら、こういう楽しい思いをさせてあげたい、とすごく思っていました。今は居ないけど、いつか入ったらね。
若い人でも自殺しちゃう人がいるじゃないですか?一度で良いからうちの会社に来て、ちょっと一緒に働いてみてくれないかな、とか。単純な考えだけど、そういう風に思うくらい楽しかったです。

━━ すごいなぁ。結局色々ぶつかったりして、その瞬間はやっぱ嫌だなと思いながら、総合的には楽しいと言えるんですね。

今も楽しいですけど、はじめの頃はもっとですよね。コンスタントにメディアに取り上げられたりとか、それがまた楽しいじゃないですか。

━━ 自分のやっていることが誰かに見られている、そしてそれを実感できるっていうのは良いことですよね。

そう、最初はあんなにボロクソ言われていたものが、だんだん日の目を見るっていうか。「わ~!がんばれネクタイ~!」みたいな気持ち(笑)。
自分の発信したメッセージをそのまま受け取って注文してくださる方が居たり、それをブログで「こんなのがあった」と書いてくださる方を見つけたりとか。届く人に届くんだ、ということが実感できて嬉しかったです。

━━ 素晴らしいですね。色々厳しいこともあるのでしょうけど、100%楽しんでいる感じが素敵だと思います。僕は勝手に100%じゃないだろうって思っていたんです。辛いこともあるだろうし、暗い部分も持ち合わせている方なんじゃないかって。

そりゃあ辛いときもいっぱいありました。全身湿疹出ちゃったときとか、ストレス、疲れ、やり過ぎ。そういうのもあって、自分の身体のコントロールを考えなきゃいけない、と思い至りました。入社して3年目くらいまで、何回か海外へ連れて行ってもらったんです。韓国はインク関係で4回くらい行きましたし、上海とかラスベガスとかドイツ・フランス・香港とか深圳などへも行きました。

━━ すごい!海外へ行って色々吸収する機会があるって、良いことですよね。

代わりにその旅行して会社を空ける分、仕事を前倒しでやらなきゃいけなくて、でもその頃は本当に忙しくて、辛かった。「もうすぐ楽しい海外!」と思いつつも、納期とか色々あるから、そういう時に湿疹がでちゃったの(笑)。

━━ いや~辛い!

二日連続夜、病院で点滴打たれる、みたいな。そんなこともありました。

━━ それも気合いで乗り越えてきたんですね(笑)。

気合いですね(笑)。すべては「気合い!」みたいな(笑)。

━━ そこが本当にすごいですね!
6年間やってきて、今やっている仕事やネクタイのコンセプトについて、ずっと同じものを突き詰めて行くことに迷いなどはありませんでしたか?

商品に対する悩みはあまりないですね。すごく良いものを作っているっていう自信もあるし、最近は三越伊勢丹様でも販売が始まったんですよ。

━━ そうなんですか!そうやってゆっくりゆっくり変わってきたことを実感できているんですね。

先方のバイヤーさんがたまたま見つけてくださったのですが、成果としてはそうやってだんだん目に見えてきているし、ニッチだけじゃなくて三越とかみんなが行くメジャーな場所で扱われるようになるっていうのは、すごい事だと思っています。そしてそれは有り難いですよね。
初めの頃は「これ売れるかな?」と不安が自分の中にも多少ありましたけど、結局、人の想いのこもったものを作ってるので。例えば愛犬を入れたり、会社のロゴを入れたりとか、共通の想いがあるものをモチーフに選ぶじゃないですか。想いを繋げるみたいな、心を繋ぐものがモチーフだったりして、それでモノを作ってるんだったら、それはやはり心を打つものになるんですよね。そして、それがきっかけでコミュニケーションが生まれて、コミュニケーションネクタイという名前の通りになっていく。すごく良いものだと自分で思っています。

ただ、女で仕事を駆け抜けてやって来たから、結婚はなんとか無事出来たけど、出産とか次のステージが待ってる。やっぱり子供は欲しいと思っているので。

仕事と結婚と子育ての両立、その実験を自分自身でやってくんです。

━━ その話も聞きたいと思っていたんです。

そう、それはすごく悩みました。今は結婚まで出来たので落ち着いてるんですけど、1,2年前の26,7歳のときが一番悩みましたね。

━━ 結婚に対して悩みますよね、20代後半の女性はとくにそうなのかなと思います。

会社は続けたいんですよね。仕事を続けたい。私がポッと抜けちゃうと、この事業が無くなってしまうので。だから続けていきたいんだけど、結婚もしたい、子供も作りたい。「どうしたらやっていけるのか?」と悩んで。例えば、子育てしている私の義理のお姉さんを見ていると「子育てしながら仕事は、絶対無理だろ!」っていうような状況を目の当たりにするんですよね。「わーっ!」て赤ちゃんが一日中泣いてる様子を目の当たりにして。
「仕事も結構やってます。子供も生んで育ててます。旦那さんともラブラブです。」これ全部やっている女の人はなかなかいないんですよね。「この人そうかも!」って思うと、夫とは別居中だったり、もう別れてるとか。「子供は居ないけど、旦那さんとはラブラブで仕事もうまくやっています」とか。なかなか3つ全部やってる人が居なくて、そういう目でしばらく女の人を見ていました。「そういう人居ないかな?」って。
それが割と近いところに居て、それがさっき話したゼミの先生だったんですけど「あ、先生って何気に全部やってる!すごいや!」て思いました。でも、どうやったら全部うまくやれるかはなかなか分からなくて、「それはやっぱり欲張りで、諦めなきゃいけないのかな?」という葛藤がありましたね。

━━ 今では「こうすれば良いのか」という気づきはありますか?

今たまたま職場の側に住んでいるんです。職場と住むところが近いのが嫌だという人もいますが、私としてはそれが一歩、自分の理想に近づいたと思ってるんです。近いから、お昼休みや時間取れるときに帰ってお米研いでおくとか、夜の夕飯のおかずを買っておくとか、洗濯物干しておくとか。そういうことが出来るんですね。結構フレキシブルに動けるようになって。
ただ、これが子育てまで上手くいくかはまだ分からない。だから本当に自分自身のチャレンジなんです。どこまで出来るか分からない。でもやってみたい。そうやって、いま私自身が日々挑戦しているんだと思います。

━━ また少し規模が違う会社に勤めている女性だと、仕事の内容や自身の役割も違うので、同じように実践しようと思っても、結局会社を続けるかどうか、という違ったハードルがあるような気がします。

勤めているところは、場合によっては産休が取れますよね。でも、私の会社では産休取ってる間、誰も居なくなってしまうので。

━━ そういう意味だと大きな会社の方が良いかもしれないですね。

そう、多分大きな会社だったら悩まないのかな?産休とって、また戻って働くことができる。もちろん能力がないと駄目だったり厳しい状況もあるかもしれませんが、そういうのとはまた少し違って、こうしたベンチャーで1人がやってるようなところで、どこまで出来るのか?という挑戦なんです。

━━ ただ、そういう大きな会社にいる女性の方だと、逆に藤原さんの感じている「自分でモノを作っている喜び」って少ないんじゃないかと思います。そこはみんな欠けているかもしれないですね。

そうですよね。だから結婚を機に辞めてしまう人は多いかもしれない。私はたまたま違う環境にいるので、一つの実験台ですよね(笑)。「会社のすぐ側に住む」という選択肢があって「プライベートと仕事がごっちゃになって辛いんじゃないか?」というみんなの疑問に対する実験台。私も一度「辛くなるかも」と思いましたけど、でもやってみると、実は上手く出来ている。私は正解だと思っています。今もこれからも、その実験を自分自身でやってくんです。

━━ 「どっちが良いか?」て考えたら、まず「やってみよう」という選択をするんですね。

はい。でも、自分でなんでも決めてきた、という訳じゃないんですよね。色んな縁の中で、人との出会いとか偶然とか、そういうことの重なりで、「あぁ、じゃあこれかな?」みたいに自然と運ばれてここにいる、という感覚です。

━━ でもそれは、縁とか出会いに気付ける力があったからだと思います。そういうチャンスを見過ごしてしまう人もたくさん居ると思うんです。「気付ける能力」というのも、ちゃんと藤原さんの背景にあるんだと思います。

案外そういう時、「がっ」と行くんですよね。あまりビビらないです(笑)。

━━ 「あ、これ面白いかも」と思う気付きと、そこから「がっ」と一歩踏み込む力で、全部ちゃんと自分で掴んで来ているんだな、と思います。

たしかに「流されて」という言葉は嫌いなんです。だから「運ばれてきた」っていう言葉が良いと思ってるんだけど、なんとなく運ばれてプカプカここまで来たっていう感じがします。

━━ ではこれから、その実験が続くんですね。

はい、今実験中です(笑)。あとは、これから私に子供ができる段階で、機材もたくさんありますし、出来れば下の子を入れたいですね。すごく楽しい仕事ですから、徹底的に教えて、出来るようになって欲しいです。そして、例えば私が子供生んで抜けなければいけなくなっても、ちょいちょい様子見たりとか出来ると思うので、それで上手くやっていけるような環境になったら良いと思っています。私としても、育児が終わったときに、こちらへまた戻ってこれる。いまそういう方がいたら良いなって思って、そういう目で探してます(笑)。

「想い出工房」みたいな、そういうことを出来る場所を作りたい。

話変わっちゃうけど、都会暮らしって、繋がりが希薄っていうじゃないですか。でも、ここは、私が仕事していることも関係してるけど、みんな仲良いんですよね。

━━ ここのエリアの方々のことですか?

この辺にみんな知り合いが居るし、隣の方なんて、夕飯のおかず持ってきてくれたりとか、すごく良くしてもらってます。
近所の方が「田舎から野菜来たから」と言って、それをもらったりとか。果物は一切買わなくても、旬なものを常に食べさせてもらえるんです(笑)。その代わり、私もパソコンをたまにちょっと教えてあげたりとか。

━━ そういう「人と繋がる力」って大事だと思います。そうした「繋がる力」って実は、若い人にも十分備わっている、ということはよく考えます。

単純にね、2年前くらいはそんなに仲良いわけではなく、道で会っても「こんにちわ」くらいしか言わなかったんです。でもある日「なんかいつも料理が本当に良い匂いしますよね。」って言ったのがきっかけで、「あらそう!?今度持ってってあげるわよ」「えーほんとですか」みたいな、そこからお料理ちょくちょく貰ったりして、いつもお礼の手紙付けて食器返したり、ハンドクリーム差し上げたりして、だんだんと仲良くなっていったんです。自分に出来る恩返しをしながら、ずっと仲良くしていて。

━━ きっかけがちょっと少ないだけなんですよね。みんな繋がりたいって思っているから、さっき仰ってた「良い匂いですね」とか隣の方に「おはようございます」という言葉があると、案外、突然繋がり出すんですけど。

ちょっと一歩踏み込むみたいな。

━━ きっかけがちょっと恥ずかしかったり、どうだろうっていう様子の伺い合いが、都会は多いのかな。田舎暮らしは全くした事がないから、違いが分かっていないんだけれど。

関わりすぎると面倒って思っちゃうのもありますよね。知らないフリ、知らない人同士の方が楽っていう感覚もあるかもしれない。でもやっぱり色んな人と関わっている方が楽しい。

━━ さっきは結婚の話や、これから実験していく、という話ありましたけど、その先は何か目指しているものってありますか?コミュニケーションネクタイをずっと続けていくのか、そこからまた別のものを生み出していきたいのか、というようなことなんですけど。

コミュニケーションネクタイはすっごく好きだから、やっぱりずっとやっていたい。あとは、誰かの事を思って物を作るっていうのは、すごく楽しいし、すごく良い事だと思うんですよね。例えば「旦那さんと二人でマグカップを作ろう」とか、そういう行為がすごく良いと思うんです。その空間とか時間とか。だから、今出来るかっていうと無理なんですが、もう私がセミリタイアみたいになったときに、ここの機材だけ使って、休みの日に参加者をネットで募集して、一緒に物を作りたいと思っています。「お互いのマグカップを作りましょう」とか「ネクタイ作りましょう」とか「マウスパッド作りましょう」とか「タオル作りましょう」とか(笑)。「想い出工房」みたいな、そういうことを出来る場所があったら良いなってちょっと思ってます。

━━ それは良いですね!

最近ちょっと忙しくてそういうこと忘れてたけど、ちょっと前に「あぁ将来、もしそういうことが出来たら素敵な空間で良いな~」って思ってました。やっぱり人が好きです。

━━ 今のお仕事をされている中でも、そんな「人好き」だからこそ、ここまで広がっていったんですね。

今の仕事ってネットでお客さんと心の深いとこまで話すときがあるんです。と言うと言い過ぎかもしれないけど、例えば相談みたいなのが来るときもあって。
ちょっと重たい話なんだけど、あるお客さまから「友人が病気で長くはないかもしれないんだけど、今度一時退院することになった」という問い合わせがあって。「そこで僕はレストランを予約して、彼と食事をしに行こうと思ってるんです。そこで何か彼を驚かせるような素敵なネクタイをプレゼントして、友人にそのネクタイを締めて、一緒に食事に行こうと思ってるんです。」みたいな内容でした。そういう問い合わせにはちゃんと向き合って、メールだけなんだけど、どこの誰かもあんまり分からない者同士だけど、でもそのネクタイという物を通して交流する。そういうお客さんが、全国にいっぱい居るんです。仲良い人も居るし、「北海道来たら俺んとこ来て、松茸食べさせてやるぞ」とかそういうお客さんとかも居らっしゃって。

━━ 素敵ですね。

今はメールだけど、工房みたいになると、直接会って触れながらってなるんで、それはそれでまた自分により合ってるかもしれないですね。そんなことも考えた事があります(笑)。

━━ 是非、そんな空間を見れる日が楽しみです。最後に、そんな藤原さん。色々な葛藤を乗り越えながらも、ちゃんと芯を通しながらここまで運ばれてきた今、とても大事にしている価値観ってありますか?生きている中で大事にしていることです。

ちょっとクサいけど、信じる事とかかな(笑)。なんか信じてるんです、ずっと。自分の人生みたいなものを。だから不安はいっぱいあったけど、なんか絶対信じている。うん。なんかそれがあります。

━━ 「信じること」ですか。自信があるっていうのとは違うんですよね?

自信は無い。自信は無いんですけど、信じてるんですね。可能性とか。仕事だけじゃなくて色んな事が上手くいく、良くなるっていうことを。そして自分自身も信じてるんでしょうね。もっと努力しなきゃいけないことも分かってるし、ダメな自分なんだけど、でも「やるんじゃないか」とか「上手いことできんじゃないか」っていう、今より良くなっていく、今より楽しくて、今より輝くっていうことを、いつも信じてる。

━━ うん。「信じてる」って良い言葉ですね。ありがとうございました!

「信じる」ことって、とても難しいことのように思います。
国を信じる、宗教を信じる、人を信じる、自分を信じる。
日本に生まれ育つ僕には、どれも、心から信じる事がなかなか出来ません。
人は色んな矛盾を抱えて生きているし、世の中には完璧なる「正解」が存在しません。
なにかを「信じる」には、そういった矛盾を乗り越えるために、一度何かに目を瞑らなければいけないんじゃないか、そう思っていました。

でも彼女から出る「信じてる」という言葉は、
もっと軽やかで、柔軟で、真っすぐでした。
困難もあるけど、先は読めないけど、と言うよりかは、
困難があるから、先は読めないから、「信じてる」という姿勢。

分からないものやどうしようもない事に対して、
あくまでも「ポジティブな受け身」を取るその姿勢は、とても素敵だなと感じました。

女と男の関係、自分と仕事の関係、もっと言うと国と国の関係においても、
色々ある困難な事柄に対して「ポジティブな受け身」を取り、その上で「信じて」みる。
お互いがどこかで共有している「強さ」、そして「弱さ」を見つけ合うことができれば、
心地よい許容が生まれ、揺るがない関係性を築くことになるのではないでしょうか。

決して理想論ではなく、自分の身近なところからそれを始めてみる。
そうすれば、自分も環境もちょっとずつ変わってくるのだろうと、そう信じています。

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