Interview

vol.05 塩津 丈洋(盆栽職人)

塩津 丈洋(盆栽職人)

塩津 丈洋 Takehiro Shiozu
1984年、紀の国に生まれる。2007年に名古屋芸術大学デザイン学部卒業後、都内にて盆栽職人の元で修行をする。2010年には、塩津丈洋植物研究所を設立。現在では、自由大学で「新盆栽学」という授業を行うなど、各所でワークショップを開催。調子の良くない植物の治療・引き取りなどを行なう活動を続けながら、庭作りなどにも携わっている。
塩津丈洋植物研究所⇒http://syokubutsukenkyujo.com/index.html
自由大学 新盆栽学⇒http://www.freedom-univ.com/lecture/detail676.html

エコだとか環境だとか、山が好きだとか自然って良いよねとか言いながら、
僕は道ばたにポイ捨てをしたこともあるし、
植物を枯らして捨てたこともあります。

響きだけで「自然が好きだ」と言うこと、好きなフリをすることは簡単です。
しかし本当に自然と人間のことを考え、それに則した行動をとることは出来ていません。

きっと盆栽に興味が出始めた頃の自分は、その形だけの状態、表層的な美しさだけに憧れて、とても人間的な目線で植物の上っ面を美しいと捉えていました。

盆栽と言うものは、年配の方が松の木をチョキチョキしているイメージが強く、縁が無いと思っている方は多くいらっしゃるのではないでしょうか。
しかし、実際に「盆栽」という日本ならではの不思議な美意識に触れると、その印象は大きく変わります。詳しくは、レポートに書いてあるので是非読んでみてください。
⇒レポート「盆栽のススメ〜植物を知り、人を知る〜」

僕はその盆栽というものに触れ、植物の繊細さを知り、正直怖じ気づきました。
自然と人間の間にある、今にも壊れてしまいそうなバランスそのものに気づいてしまったのです。
しかしそのバランスを、自分の手で少しづつ変えていこうとしている人がいます。

塩津丈洋さん。僕に盆栽の魅力を、そして自然の繊細さを教えてくれた同い年の盆栽職人。
彼の言葉と志を、今一度ゆっくり見つめ、この場で少しでも多くの人に伝えたいと思います。

寒さが厳しくなるなか、仕事場である「塩津丈洋植物研究所」へお邪魔しました。

お花が枯れてしまった時の受け口になるような場所があったら良いなって。

━━ 「盆栽の先生」として僕は塩津さんに出会ったわけですが、本業というか、今やってらっしゃる仕事についてはあまり良く知らないんですよね。「どんな仕事してるんですか?」と聞かれると、いつもなんて答えてらっしゃるんですか?

そうですね…「病院」って言ってます。

━━ 病院?

はい(笑)。不思議に思われるのですが、そこに自分はこだわっていて。こんなこと言うのは何ですけど、植物ってそんなに自分たちと変わらないものなんじゃないかって思ってるんです。最近だと、自分、腰やっちゃったんです。

━━ ぎっくり腰ですか?

みたいなのをやっちゃって。もう動けなくなっちゃったんです。初めて救急車で運ばれて、ここに救急隊員がやってきて、色んな道具持ってきて、運ばれて、気付いたら病院で。もう、ものすごく助かったんですよね。で、それって人間だからじゃないですか。

━━ はい。

で、どんなレベルまで「病院」ってあるのかなって調べたら、やっぱり動物までなんですよね。人間向けはもちろんあるし、水族館だったらイルカや魚たちもあるし、ペットショップだったら犬や猫もある。動物園に行けば、パンダだってライオンだって注射打たれたりして、獣医がいるじゃないですか。

━━ はい、資格をもった獣医さんがいるわけですよね。

で、植物になると、明治神宮の大楠のような国の保存樹等を治療してくれる樹木医と呼ばれる方達がいます。だけど例えば、家のベランダの小さなプランターのひまわりが枯れかけてますっていう時に、来てはくれないと思うんですよね。
何年も飼っているわんちゃんの体調が悪くなったら放っておかないと思うんですよね。でもベランダのひまわりが枯れかけても、なんとか必死に手を施す人なんて10人居たら1人居るか居ないかだと思うんですよ。もっと言うと、100人居てもなかなか居ないんじゃないかって思うんです。それが普通だし「植物ってそういうものだ」という風になってるじゃないですか。

━━ 僕も枯らしたことがあります。手の施し方が分からなくて、諦めてしまって。

ですよね。じゃあそこの境界線って何なのか?って考えると、それはアヤフヤだし、誰かが線引きしたわけじゃないけど「そういうものだ」ってみんながフワ~っと思ってるだけなんですよ。だから、そういう仕事をしている人は居ないんです。でも自分はそれが嫌で、「どういうことなんだろう?」って気になっちゃって。

━━ なるほど、そういう視点で…。

自分がこういうことやってるのも、単純に「植物が好きだ」っていう理由だけなんですよね。別に深い意味もなくて、植物が好きだからこういうことをやってて、植物が好きで仕事にしていこうって考えたときに気付いたのが「植物の病院」ということなんです。いつも疑問から発生してるんですけど、すごいんですよ、日本のお花屋さんの数とか。

━━ 多いんですか?

東京だけで何百店とあるんですよ。お店はそれだけあって、そこにお花が数百円~数千円で飾られて売ってるじゃないですか。「綺麗だな」って思って、買って帰って。でもそれを誰が最後まで面倒をみるのか?て思うと、売ったのは良いけど、買った人は最終的に枯れかけてしまったお花をお店に持って行かないですよね。

━━ そうですね。全然「お店に持って行く」という考え自体がなかったです。持って行かないですね。買った時点でその人自身のものになって、最後の責任もその人次第っていう感覚があります。

ですよね。そうなったときに「じゃあ自分が責任をもってみたら良いんじゃないか」って思ったんです。

━━ なるほど。

植物を育てる人ってたくさん居るんですね。でもやっぱり「治す人」っていうのは基本的には居ない。農大だったり研究者の方々でやってる人も居ますけど、「電話一本」で自転車で来てくれるような人って居ないんですよね。でもそういうメンテナンスが何よりも大切だと思っていて、今の仕事を「病院」と言って、活動しています。

━━ そうなんですね。「病院」であることを名乗りながら、実際はどんなことが仕事になっているんですか?

植物に関することだったら、色んなことやります。電話が鳴って、植物を治しに行ったりとか。それ以外にも、最近だったら練馬のほうで庭をひとつ作ったりとか。

━━ あ、庭を造るという仕事もあるんですね。

そうですね。庭師のような、剪定をするような仕事です。あとはお祝いのブーケを作ったり。普通のお花屋さんがやっているようなことは全部やっています。ただ「販売」という形はあまり取っていないんですね。

━━ 盆栽は個人で売られていないんですか?

そうですね、なるべく「販売だけ」という形態はとらないようにしていますね。「売ったら良いじゃない」とよく言われるんですけど、ただ売っても、ただ買った人は上手く育てられないと思うんです。なので、ワークショップをやって、受けてもらった人に直接お渡ししたり、あとはそういう方達からの繋がりだけでやっています。だから全く分からない人には、なるべく売らないようにしています。カフェで単発のワークショップをやったりもするんですけど、基本的に自分がお譲りした人に対しては「永久保証」というのをやっています。

━━ 植物の「永久保証」って新しいですね(笑)。

形のうえでは、植物をその方に委ねてしまうことにはなるんですけど、自分がちゃんと譲った方ですと、また来てくださる方がいっぱい居るんですよ。苔玉の苔を貼り直して、持って帰ってもらったり。好きな人はそうやって大事に付き合ってくださるんですね。なので、そういう形がやっぱり一番安心します。

━━ 人に植物を届ける場合は、そうやって顔が見える範囲で、ちゃんと植物に対する考えを共有した上で渡したいってことなんですね。

そうですね。お花屋さんを否定するわけではないです。でも、お花が枯れてしまった時の受け口になるような場所があったら良いなって。まだ全然浸透はしてないと思いますけど(笑)。でも、そうなっていったら良いなっていう気持ちですね。浸透していったら、世界がもっと良いくなるんじゃないかって。それがやっぱり自分の「やりたいこと」である、という。

━━ 素敵ですね。

よく「お金になるのか?」と言われます。年齢的にもビジネスのことを考えなければいけない。ただ、今やっていることを僕は「きっかけ作り」だと思ってます。

━━ ビジネスに至る前の、「きっかけ作り」であると。

そうです。みんながシフトしていくためには、「変なこと」で良いだろうと思うんですね。「変なことやってる人が居る!」というところからスタートして、いつか歳をとった時には「枯れかけてきたから、来週病院に持って行かなきゃ」「あ、うちの子も先週持って行ったんだよね」みたいなことが当たり前の世の中になっていったら、自分は楽しいし、もっと良い世界になっていくんじゃないかなって思ってるんです。

━━ それが理想であり、目指すとこなんですね。

変態みたいになっちゃってますけど(笑)。

これだけ挑戦してダメだったら、多分自分は違うんだ。

━━ いや。その「変態であること」って大事だと思います。そんな独特な考えを持つに至るまでの流れを知りたいのですが、小さい頃は何になりたかったんですか?

自分は一番最初、漫画家になりたかったんです。

━━ えええええ、そうだったんですか。

絵を描くのが大好きで、よく描いてたのは覚えてます。動物が大好きで、暇があるとよく動物の絵を描いていたみたいで。いつからか分からないですけど、物心つく頃には「漫画家になりたい」と思ってました。

━━ 気付いたら、漫画を描きたかったんですね(笑)。

はい(笑)。そこからずーっと、大学受験のその日まで「漫画家になりたい」と思い続けてました。一人で漫画作ったりもしていましたよ。当時流行っていたドラゴンボールとかファイナルファンタジーとかのキャラクターを真似したようなものですけどね。子供なんで。でもやっぱり楽しかったですね。

━━ そこまで絵が好きだったのが、いつ変わっていったんですか?

その、大学受験のときですね。滋賀県に成安造形大学という大学があって、そこにはジブリの背景を描いてる教授がいたんです。「耳をすませば」の中で出てくる小説の世界とか。

━━ あ、ありますね。あれすごく好きです。

井上直久という方なんですけど、その方が教授やっていたんですね。僕もジブリが大好きで「もののけ姫かっこいいな~」「アシタカになりたいな~」とか思ってたんですけど(笑)。

━━ ははははははは(笑)。分かります(笑)。

仕事にするってことを考えていたなかで、だんだんと漫画家から「イラストレーターになりたい」という気持ちのほうが大きくなっていったんです。絵を描くことから派生する仕事というのは漫画家だけじゃなくて、色々分かってきたんですね。で、その大学のイラストを学ぶコースに行きたくて受けました。3回受けたんですよ。そして、3回落ちたんです。

━━ 3回というと…?

推薦入試、一般A入試、B入試で落ちてしまったんです。で自分の中で決めていて、「挑戦をしてみてダメだったら、違うんだ」という解釈をするようにしてたんです。期限を作ることが好きで。これだけ挑戦してダメだったら、多分自分は違うんだって。そのときに、別で名古屋のデザイン科を受けていたんです。

━━ 同時に受けてらしたんですか?

はい。どっちが第一志望かというわけではなく、受かったところが自分の進むべき道なんだ、と暗示がけのようなことをしていたんです。デザイン科といっても幅広くて、入った後に選考を決められる大学なんです。クラフト・メディア・インダストリアル・メタルとか。

━━ なるほど、自分で選べるんですね。

で、受かったのは名古屋だったんですね。それでその時「イラストじゃないんだな」と思って、だから19歳のときに目標を変えました。

━━ すっぱりと?

はい、そうですね。その後は、一回も描いてないですね。

━━ えっ!!本当ですか?すごい徹底ぶりですね。

ははははは(笑)。だから地元に帰ると「まだ絵描いてるの?」と言われるんですけど、大学から友達になった人は「え、塩津って、絵描くの?」ってなるんです。ばさーっと切っちゃうんです。

絵はあまり評価良くなくて落ち込んだりもしたんですけど、モノを造るほうは逆に評価が良かった。

━━ すごいですね。そして大学に進まれて、それまでの方向性から別のベクトルに舵を切ったと。

もう爆発しちゃいましたね。ばーーーんって(笑)。もうそのまま止まらず、今に至っちゃってますけど。自分の中での一番大きな社会の広がりが、大学受験だったわけです。初めて実家を出るということですね。色んなことが世界で起きているのはテレビとか映画で知っていたんですけど、子供のときは動ける範囲が少ないじゃないですか。お金もタイミングもきっかけも少ないので。同じ場所にいると「知らないこと」が沢山溜まっていきますけど、大学に行って人と出会っていくことでどんどん自分の世界が広がっていったんですね。

━━ 行動的な塩津さんならではですね。

今思うのは、その小さな頃のことを「世界を全然知らなくて良かったな」と思うんですよね。

━━ 知らなかったその環境は、今思えば良き起爆剤になったなっていうことですか?

そうです。心の中に溜めてるものがいっぱいあったんですよ。「大人になったらこういうところに行けるんだ!」とか「こういう世界が見えるんだ!」とか。ウズウズしてたんですよね。それが大学に入って、自分で歩けて、お金を手に入れられて、自分が表現できる・認められてく、というのが分かったときに、世界がすごくクリアになったんです。

━━ 良いですね、その感覚。大学に入ってからは、具体的にどんなことをされていたんですか?

1年目は本当にいろんなことをやらせてもらいました。一番面白かったのが「小さな小屋を造ろう」という授業で、模型を作るんですけど、そこですごく褒めてもらえたんですよ。昔は絵を描くのも好きだったんですけど、評価が高かったのって結構立体作品が多かったんです。モノを造るほうが評価が良くて。絵を描くのは逆にあまり評価良くなくて「あ~」って落ち込んだりもしたんですけど。大学に入って自分の方向性を探していたときだったので「じゃあ、立体のデザインのコース、スペースデザインにしよう」と決めたんです。

━━ スペースデザインといっても、色んなモノ作りがありますよね?

そうですね。でも僕の場合は家を建てたいと言う感じでもなかったし、大きな規模でビルを建てたいというわけでもない。そういうモノ作りより、自分でちょこちょこするのが好きだったし、工芸的なものに興味があったんです。それにもともと植物が好きで、とくに「木」が大好きなんです。だから家具・椅子などに興味が出て、それを造ろうと決めていったんですね。

━━ それで2~3年ずっと家具を追求していったんですか?

はい、卒業制作までずっと。卒業制作も全部完売で。

━━ 卒業制作って売るんですか?

売れたんです。美術館に展示して、デザイナーさんが買ってくださったんです。子供用の椅子で、こういうやつなんですけど。

━━ わぁーー!!素敵ですね!

下に落ちてるのはドングリの葉っぱなんです。で、この木の椅子が「ポツリ」という名前で、ドングリ・木の実からイメージしてるんですね。木の実って、つまりは「種」ですよね。で、そこから出てくる「芽」が「子供」。木の実から芽が出てるのって、めちゃめちゃ可愛いじゃないですか(笑)。あれをやりたかったんです。

━━ なるほど!!

芽ってどんどん大きくなってくると、木の実の皮を破って、根っこがバンっ!て出るじゃないですか。種って壊れますよね。で、大人になるとお尻が大きくなって、この椅子には座れないんですよ。つまり「座れなくなる椅子」を造りたかったんです。

━━ 面白いですね。たしかに、これだと大人は座れない。

座れないですよね(笑)?でも子供に渡すと、こうやってハマってゴロゴロしだすんですよ。クルクルと。

━━ 可愛いでしょうね。目に浮かびますよ!

このときから、「家具」と言っていても、そういう植物を表現することをやりたかったんですね。そういう感じのことをずっとやっていて。

━━ すごいですね。センスが爆発してます。

自分なりには 良く出来たと満足いく物にはなりました。でもデザインというよりかは、あくまでも「工芸」という感じですけどね。他の人たちは「空間が…!」とか「コンセプトが…!」とかそういう方向で作品を語る人が多かったんですけど、自分の場合は「なんか、この下に木の実の葉っぱが落ちてたら良いだろうな~」とか「でも『木の実』の椅子だから、その木は『実がなる木』の素材が良いなぁ。」などと言って、栗の木が落葉樹であることとかを調べながら制作してました。ちょっとズレてましたね(笑)。

━━ と言う話を聞くと、そこから盆栽の世界へ進まれた理由もよく分かります。自然な流れだったんですね。大学時代のその頃は、すでに盆栽も始めてらしたんですか?

盆栽の親方に弟子入りするのは、大学卒業してからです。ただ、その頃から色んなところに顔を出してましたね。この卒業制作を作っていた頃も、すでに親方とは知り合っていたので、相談したりしてました。

「魅力的だな」と感じたのが、盆栽をやってる親方でした。

━━ 植物が好きであることから、「盆栽」にフォーカスしたのは何故ですか?

もっともらしい理由があれば良いですけど、たまたまですね。「魅力的だな」と感じたのが、盆栽をやってる親方でした、というだけで。もしかしたら出会った人次第で、生け花をやっていたかもしれない。それくらいの感覚でした。そして、それが一番自分に合っているというか、なんでも計算で出せちゃうと面白くないじゃないですか。準備しすぎないというか。例えば山に登る時、荷物を準備しすぎてと重くて面白くない。最低限のものだけ持って登ったほうがずっと楽しいと思うんです。

━━ なるほど。準備はせず飛び込んでみて、そこにあったものに触発されながら、自分のモノにしていく感じでしょうか。

はい。最低限のもので良いと思うんです。僕、椎名誠が大好きなんですけど、彼が「男はリュックひとつに自分のすべてのものが入るくらいがちょうど良い」って言っているんですね。それがすごく分かるんです。なので自分も実は、色んなところを転々としていたんです。

━━ と言うと、どこかに行かれてたんですか?

はい、実は帰ってきたばかりなんですよ。去年とか、半年間日本を回っていたんです。半分野宿しながら。

━━ そうだったんですか!半年間も!

そうですそうです。はい。ずっと日本を歩いていて、歩きながら「これからどうしようか?」と考えてました。

━━ それは、親方の元での盆栽の修行が終わってからですよね?

終わって、普通だったら出た後にすぐ「自分でお店を持つ」とかになるんですけど、僕の場合はそれがまったく無かったんですね。

━━ 親方のところから出るきっかけは何だったんですか?

修業時代、一年間だけ教室を持って盆栽や植物の授業をしていたんですけど、その時に「教える」「人に伝える」ということのほうが自分は楽しいということに気付いたんです。自分のなかで盆栽の職人になるというよりかは、植物を人に伝えていく、外に向けて伝えていく人になりたいって思ったんですね。

━━ 普通、職人になろうとした場合は、もっと長い間修行に入られるんですよね?

そうですね。職人になる場合は10年とかが当たり前なので。だけど自分の場合は違う方向に行きたかったんですね。「辞めたい!」というよりかは、先ほど話したような「たまたま」起こることが好きなので、辞めたあとも自分が盆栽を続けていくかもまったく決めていない状態だったんです。

━━ ん~凄いですね(笑)。その旅はどこを回られたんですか?

最初は東京から出発して、まず名古屋まで歩いて。

━━ あ、歩いたんですか!?

はい(笑)、1週間くらいで着きました。名古屋から沖縄に行く切符は買っていたので、そこからは飛行機で行って。沖縄に着いて、沖縄を一周して。

━━ それ、野宿しながらですか?

野宿しながらです(笑)。はい。初日とか大変だったんですよ。南部に行きすぎて、ひめゆりの塔で野宿になってしまって。そういうことをしながら、どんどん上のほうに行って、九州にも行って、四国・中国地方もぐるぐる回って。

━━ とりあえず、歩きたかったんですか?

考える時間が欲しかったんですよね。はい。止まっていると、自分いろいろやっちゃうんですよ。次々とやりたいことが出てくるので。

━━ それはそれですごく良いことだと思うんですけど。

でも、やり過ぎちゃうと、本当にやりたいことが曇ってくると思うので。どんどん固まっていっちゃうんです。だから、歩きながら考える。歩くことで、ようやくぼーっとできる、ということです。

━━ あぁなるほど。

ただフラフラしてた訳じゃないんですけど、「今日は50km歩くんだ」と決めてテコテコ歩いて、その途中で面白い人たちに会って、出会いがあるんですね。足が痛くなったらヒッチハイクして、乗せてもらったりとか。

━━ へぇぇ良いですね。植物のことも、各地を回りながら何かされてたんですか?

もちろん、勉強のために日本中の庭を見たかったんです。時間がいくらでもあったので、殆どの庭は見尽くしましたね。京都はたくさん庭があるので、1ヶ月くらい滞在したり。

━━ 面白いですね。絶対面白いですよ。歩いて頭をからっぽにするって、良いですよね。でもそれだけの時間を、ぱっと作ったことは凄いですね。勢いだったんでしょうか?

その時じゃなければ、そういう時間はもうなかなか取れないんじゃないかって思いましたし。あとは、「本当に植物で良いのかな?」と思っていたので。

そこのビルの方々が「本当に癒しになっています」と、頭を下げてくださった。

━━ あ、悩みもあったんですね。これからの道について一度考えをまとめようと?

「今までこれをやっていたから、これをやるんだ」というのは好きじゃないんです。たとえば今盆栽やってますけど、今度はWEBのデザイナーになるとするじゃないですか。そうすると、多分また新しい表現が出来る気がするんです。自分の表現が出来ると思うんですね。今まで植物の勉強をしていたから、植物の仕事をするんだ、という決めつけのようなものは、あんまり考えたくなかったんです。

━━ では旅を通して、新しい出会いがあれば、そこに流れて行っても良いんじゃないかというスタンスだったんですね。

そうですそうです。旅している間は色々な刺激やネットワークが広がって、しがらみも無く過ごしていたんですけど、自分の根本にはやはり「植物好き」というのがあるので、やっぱり植物のことばかり頭に入ってきたんです。鹿児島に住む友達のところへ行った時、剪定用のはさみを一本だけ持って行ったんですけど、「盆栽の修行してたんだって?うちの庭の剪定とかもできるの?」なんて言われて、結局歩きながらそういうこともしていたんですね。切っても切り離せなかったと言うか。

━━ 結局自分のなかにある「植物」というものの存在が大きかったことに気付いたんですね。そこからだんだんと「植物の病院」という構想も固まっていったのですか?

修業時代の頃から「植物の治療をしたい」という発想はあったのですが、歩いている間に具体的に「病院」という形に固まっていきました。ただ色々歩いた結果、植物をやるんだったら東京が一番やりがいがあるかな、とは思うようになりましたね。地元の田舎では、もちろん植物が溢れています。逆に東京はやはりどこか荒んでるというか。街路樹とか公園ってめちゃくちゃ手が入ってますから。少ない土地に作るわけなので、本当に丁寧に作るんですよね。そういう意味でやりがいがあるように思ったんです。

━━ 手を入れる余地もあるし、素晴らしい場所も沢山ある、と。

はい。あと、求めてる人が一番多いのかな、とも思いました。当時、盆栽の親方と東京のビル内にあるディスプレイの仕事をやっていたんですね。そこに勤めていらっしゃるのは本当に忙しい方々だったので、植物に触れることがとても少ないでしょうし、季節もなかなか感じられないと思うんです。という時に、秋には紅葉したモミジをわざと持って行ったり、春には新芽のもの、冬には梅の木とか、時期のものを意識的に入れたりしていて。そうしたら、そこのビルの方々が「本当に癒しになっています」と、頭を下げてくださったんですね。なので「あ、この仕事って、すごく良い仕事だな」と思ったんです。ということがあり「東京にはそういうものを求めている人が多いのかなぁ」と思うようになりました。そこから「植物を人に伝える仕事」の魅力を感じ始めてたんです。

━━ 旅から戻ってきてからは、どのようにこの仕事を始められたんですか?

11月に帰ってきて、というのもお金が無くなっただけなんですけど。格好良い話では全くなくて。まずいまずいと思ってて、ちょっと東京で短期の仕事をしながら、またお金を貯めてました。それで貯まったら、今度はヨーロッパに行きました。

━━ うぉぉぉ、また別の場所へ!!

まだ物足らなくて(笑)。向こうの花屋とかを回りながら、1ヶ月くらい居ました。それで2月の頭に帰ってきたんです。そして3月に、ここのお店を構えました。

━━ 「研究所」と銘打っているこの作業場の構想はどのようにしてできたのですか?

場所がないと何もできないな、とは思っていたんですね。でも「お店」をやるのかというと、そうでもない。自分で盆栽を作るスペースがあって、お客様と話せる場所があれば良いと思っていました。「植物の治療」となるとその人の家に行くことになるじゃないですか。他にも「教える」こともそうですけど、自分のフィールドではなくどんどん他の場所へ行きたいんですね。出張型の教室もやりたいと思っています。なので、住みながら、道具を置けて、作業ができるこの程度のスペースで十分だな、と思ってこのような仕事場になりました。

━━ 塩津さんのサイトでは、「身近な場所で植物と関わりをもつことから、地球規模での環境活動につながっていく」と書いてありましたが、それも旅していた中で考えてコンセプトにしたんですか?

そうですね。歩いていた時間で考えましたね。客観的に自分を見れる時間だったので。

「本当に大丈夫か?」と心配していた教授達が、今は背中を押してくれる。

━━ 昔からの話を伺って、やはり行動力と発想力が常人じゃないなって思います(笑)。

本当ですか(笑)!?でも「やってみなきゃ分からない」という気持ちはずっとあります。岡本太郎が「やってみると、自分に向いているものはピンと来る」というようなことを言っているんですね。やってみてダメなものは、向こうが応えてくれない。その考えがすごく好きで。一回やってみて「なんか違うな」て思ったら、他のことをやってみれば良くて。それが早ければ早いほど良いって思ってるんですね。

━━ そのトライ&エラーは、大学時代からよくやられていたんですね?

ひらすらやってましたね。大学3~4年からやってました。学生は時間沢山ありましたし。例えば「生け花の人が展覧会をする」という話を聞いたら「あ、お手伝いします!」と言って、ネットワークをばーっと広げておくんです。そこで手伝ってみて、楽しいかどうかを、自分が満足できるかどうかを、やりながら確かめていました。

━━ それは先ほど仰られていた「大学に進学したときの爆発力」の延長線上でひたすら進んできたのでしょうか?

やはりその時の爆発力は大きかったですね。遊びまくってましたよ。いや、本当に。というか「ふざけた人」みたいになってましたから(笑)。だからなんですよね、みんなが就職しているときに、教授に呼ばれて「塩津はどうするんだ?」「いや、盆栽の職人のところへ行こうと思ってて」「盆栽!?」という風に「本当に大丈夫か?」と言われてしまう感じだったんですよね、卒業の時は。でも今となっては、学校が僕のことを呼んでくれています。不思議なことですよね。

━━ 不思議ですよね。でも誰も先は読めないですから。

そうやって「本当に大丈夫か?」と言っていた教授達が、今は「やってるねぇ塩津くん!」なんて言って、背中を押してくれるんですよ。だから、なんと言うか、関係ないと思うんですよね。

━━ 一時的な周りの評価は、関係ないと。

はい。でもやっぱり「人と一緒のことをやりたくない」とは思ってました。今も思っています。新しいことをどんどん作っていきたいじゃないですか。はさみを作っている職人が居て、陶芸家が居て、色んな人がいる。色んなことが仕事になって、みんなが生活しているんですよね。その中で「塩津丈洋が生きていた間に何をしたんだ?」と。そう考えたときに「何か形に残したいな」ということをすごく強く思いますよね。あと、「分業」で良いと思っていて。

━━ 自分で全部やらなくて良いってことですか?

はい、それが楽しいと思うんです。で、自分は何を担当するかと考えたときに「植物だったら任せて!」と言える風になりたいと思ったんです。だから、植物の新しい展開はどんどん出していきたいと思ってますね。

━━ その「分業で良い」という話も面白いですね。

「植物でなにかやって!」と言われると、自分は自信があるんですよ。でもたとえば、剪定用のはさみも自分で作って、それを運送して、と色んなことが入ってくると…、出来ない。

━━ はい。自分の範囲というのは間違いなくありますよね。

色んな人たちが居るから、面白い何かができると思うので。分業で良いなって思います。今、盆栽の器は陶芸家の方にお願いしていますけど、例えば自分で作ることも出来るんですよね。

━━ そうですよね。大学では造形物の制作をしてらっしゃったんですものね。

はい。自分でやっちゃうこともできるんですよ。自分でやれば、材料費も浮きますし、ビジネス的には良いかもしれない。でも、それだと意味がないんですよね。陶芸家に新しい何かを作ってもらって、それに自分で植物のアプローチをする。それでひとつのものが出来て。自分1人じゃなくて、2人だったりもっと色んな大きな形になっていって。そうやってどんどん広がっていく。利益はあとからついてくれば良いと。だから分業が大好きです。
ネガティブな意味じゃなく、色んなものとか多くのものを求めなくて良いと思うんです。聞いた話なんですけど、二種類の料理が得意な料理人が二刀流で料亭を切り盛りしていたんですが、あることをきっかけにして片方を手放してしまったんです。ひとつになって「まずいな」と思ったけども、ふと考えてみたら「ひとつのものを両手で掴めるようになった」ということに気付いて、得意なものを2つやってるときよりも良くなったと言うんですね。

━━ なるほど。

それってすごく面白いなって思うんですね。

━━ あれもやって、これもやって。それが上手くいく人もいるかもしれないけど、減らしてくこともひとつの可能性として捉えられるということが大事なんですね。

そうなんです。自分は、ひとつのほうが良いのかなって。今までやってきてそう思ってるんですね。

「植物の治療団」みたいに、自分1人では賄えない部分をネットワークで解決していく。

━━ これから、どういう方向に進んでいこうと思ってますか?考えている方向性とかありますか?

あります!「植物の里親」。

━━ また新しいですね(笑)。

誰もやっていないと思います(笑)。というかこんな意味の無いことやらないって(笑)。でもこういう新しいことが「楽しい」って思っちゃうんですよね。

━━ ええ、これは間違いなく新しいですし、意味は在ると思いますよ。面白いです。

育てられなくなった人から引き取った植物をすぐピックアップしに行って、僕が綺麗に治すんですね。植物が治ったときに、作家さんの綺麗な器に入れ替えて、それで次の人へ渡すんです。器の代金と、植え込み料だけで、植物の代金は取りません。

━━ それも塩津さんの活動のコンセプトに沿った具体的な活動になりそうですね。色んな繋がりが得られるかもしれないですし。

楽しいですよ~。植物が元気無くなったときに「治すのが当たり前」という世の中にしたいんですね。植物研究所というのをやっていて、「どうやったら植物と人間が共存していけるのか?」ということをずっと考えてきているんです。道路沿いに植えてある街路樹って、排気ガスとかの影響で寿命がすっごい短いんですよ。本当はもっと生きるイチョウの木が、幹を擦ると手が真っ黒になるくらい汚れているんです。人間の環境に「適応している」のではなくて、人間の環境に無理矢理「当てはめられてる」んですね。そうじゃなくて、もっと違うアプローチがあるはずなんです。「花キューピット」のような形態ってすごく良いと思ってるんですが、あれってどこでもネットワークがあるじゃないですか。それを模倣して、変かもしれないんですけど「植物の治療団」みたいなのを作りたいんですよね。自分1人では賄えない部分を、ネットワークで解決していく。日本中にそういう人が散らばっていて「植物は治すのが当たり前」という世の中を実現するためには、そういうことが必要だろうと、色んなことを考えてますね。

━━ まずはコンセプトとしての「研究所」があり、そこから広くネットワークを広げていくための「教室」であったり、「出張サービス」であったり、「里親探し」であるわけですね。メッセージがしっかりある。

はい。例えば、宮崎駿は色んな作品を通して、自然破壊・人間と動物・家族など色んなことを訴えているじゃないですか。アニメにして分かりやすく、楽しませつつ、批判しまくっていると思うんですね。それだけやっている宮崎さんが「実は世界ってそんなに変わらないんだよなぁ」と言っているのを読んだことがあるんです。僕もそれがよく分かるんですけど、でも、生きている間にちょっとでも自分も何かできればと思ってるんです。今ここ世田谷でやっててもまだまだ弱いでしょうから、外に向けてもっともっとネットワークを広げて、仲間も必要でしょうし、そういうことをやってかないといけないな、なんて思っています。悩んだりしてますけどね。そういうことができればと思っています。

━━ そうしたメッセージをちゃんと自分の中に据えられているということが、すごく力強いなぁと思います。今日はお付き合いくださりありがとうございました。

「植物の病院」「盆栽のワークショップ」そして「植物の里親」。
人に直接植物の魅力を伝え、植物を大事にすることを世間に広めていく。

果てしない笑顔を振りまきながら、ハツラツと語る塩津さんは、
まるで山の中で思いっきり自由に芽生えている草木そのもののようです。

しかし、きっと不安なこともいっぱいあるんだと思うのです。
ただでさえ「自然」の影が薄い東京で、その大事さを忘れかけている人々に対して、たったひとりでメッセージを投げ続ける。ある意味「孤高の戦い」をしている彼の姿を、盆栽の剪定をしている真剣なまなざしの中に見た気がしました。

「なんとなくは分かるけど…」とか「そこまで必要かな?」と、彼のメッセージを100%受け取れない人もまだいっぱいいると思います。
でもその一方で、彼のワークショップを受けた人や盆栽や庭に触れ合った人々は、そんな彼のメッセージを少しずつ自分の考えに取り込み、少しずつ生活を変えています。

ひとつのことを、世の中に「メッセージ」として投げかけ続けること。
それは辛い時もあれど、彼が今まで過ごしてきて出会った人々との繋がり、そして新しいものを沢山吸収し取捨選択した末に磨かれた「植物が好きだ!」という絶対的な気付きがそれを支えているのでしょう。

塩津さんと話していると、そのような決してブレない気概のようなものが見えてきます。

社会は世界の至る場所で生まれ、そこには新しい文化が根付きます。
何も無かったところにひとつの文化が生まれる過程を、僕は見ているような気がしました。

塩津さんの活動:自由大学 新盆栽学
新盆栽学ロゴ

このインタビューの塩津さんが自由大学で行なっているワークショップです。盆景、盆栽、苔玉、寄せ植えなど、塩津さんの素敵なセンスで選ばれた植物や器を元に実際に創作し、自分のつくった作品を持ち帰ることができます。そして、大切な植物を育て共に暮らしていく上での専門的な知識技術を修得し、現代の生活様式にあった新しい自然美表現を学ぶことができます。⇒詳しくはこちらから

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